映画人九条の会Mail No.31

2008.09.10発行
映画人九条の会事務局

目次

来る11月6日(木)に、映画人九条の会周年の集い! 記念講演は伊藤千尋氏

「活憲の時代─世界から見た9条」

 映画人九条の会も今年11月で4周年を迎えます。

 今年4月の読売新聞「憲法世論調査」では、「憲法改正」反対が43.1%となって15年ぶりに賛成を上回りました。昨年の安倍政権崩壊と、7000を超す「九条の会」など草の根の運動とが、改憲をめぐる状況を大きく変えたのです。

 しかし改憲勢力は憲法改悪をあきらめてはいません。自民党は今、マスコミをあおり立てて総裁選を展開中ですが、今後自民党新総裁のもとで改憲戦略の手直しが図られることは間違いありません。自衛隊の海外派兵恒久法も最大の焦点になってくるでしょう。

 今年3月、映画「靖国」への助成をめぐって、自民党議員が日本芸術文化振興会の審査員が「映画人九条の会」の会員であることを問題にしました。「九条の会」運動に危機感と敵意を強めている改憲勢力は、これからいろんな形で全国の「九条の会」に攻撃を加えてくるおそれがあります。「改憲」が少しばかり遠のいたと言って安心していたら、大変なことになります。

 でも、「改憲」こそ時代錯誤。時代はまさに「活憲の時代」です。映画人九条の会4周年の集いは、はじめて伊藤千尋さん(朝日新聞記者/ジャーナリスト)を講師に迎え、「活憲の時代──世界から見た9条」を熱く語っていただきます。

 公害・地球懇が製作した「地球の温暖化を止めて」も特別上映します。大勢の方のご参加をお待ちしています。

11・6映画人九条の会4周年の集い
■日時
11月6日(木)18:45〜20:40
■会場
東京・文京区民センター3A
■参加費
700円
●記念講演
伊藤千尋「活憲の時代─世界から見た9条」
●映画人九条の会代表委員のあいさつ
●特別上映 「地球の温暖化をとめて」(DVD/18分)
公害・地球環境問題懇談会/製作
■主催
映画人九条の会

【お薦め映画紹介1】 「夢のまにまに」 (木村威夫・長編映画第一回監督作品)

90歳の監督が、解説や分析でなく、事実でもって伝えたいことが

羽淵三良/「映画人九条の会」運営委員・映画評論家

 『夢のまにまに』は、新藤兼人映画監督(96歳)に次ぐ日本映画界の、長編映画第一回監督作品である。この日本映画界の巨匠。木村氏が、解説や分析でなく、事実でもって誠実に、日本人と日本の観客に伝えようとしているものがある。その一つは何よりも反戦平和の強い想いである。

 映画が始まると、スクリーンいっぱいに大きなゴツゴツした木のコブをつけた巨木が映し出される。続いて爆撃機の激しい爆音。空襲である。この巨木に寄りそって、助け合って生きようとしている若い男女。それはこの映画の主人公長門裕之が演ずる木室創と有馬稲子が演ずる妻のエミ子の、60数年前の、太平洋戦争中での悪夢のような姿である。若い頃の木室創とエミ子を永瀬正敏と上原多香子が演じている。妻のエミ子には海軍将校の恋人がいたが、戦死。創とエミ子は結婚することになる。

 つづく、木村監督が反戦平和をメッセージする事実は、戦後の闇市の飲み屋の場面。創をふくめた映画の仲間たちが酒を飲みながら、日本国民を戦争にかり立てる国策映画を作らされたことを恥じらいながらの口論のシーンだ。

 さらにこの映画の後半、創が自分の仕事の必要性から、自爆行為の研究のために、九州の知覧を訪れ、観世榮夫が演ずる、245人の中でたった一人生き残った元特攻隊員の老人との対話の場面が登場する。ここでは「母さんの胸の中で眠りたい」と書いて、殺されていった青年の遺書を紹介している。戦争の悲劇を真っ向からかぶってしまったこの年代の深い悲しみが伝わってくる。

 この映画の主人公の木室創は、「わたしの分身」であると映画パンフの紹介文の中で木村は言っている。創はN・K芸術学院の映画学校第五代の学院長である。学生の中に熊本出身で、四年制大学を出て、この映画学院に入学してきた村上大輔(井上芳雄)という、才能がある青年がいる。彼は腕にマリリン・モンローの入れ墨をしている。他方、戦没美術学生の遺作作品を集めた、長野県の無言館という美術館に出かけ「なぜ戦争なんかしたんだ! 芸術を志した者が、人を殺すために世界へ追いやられて、そして死んだ──絵を描きたいのに、みんな死んでしまった」と頭をかかえて嗚咽する。創は「日本の近代史をしっかり勉強したまえ」と心を込めて励ます。

 実は木室創が観客に伝えたい、もう一つの強い想いとは、次代をになう若い世代への強くて深い想いだ、と見た。学生の村上は精神病になり学院を退学、熊本に帰っていく。この青年に木室創は、誠実に全身全霊を傾けて激励する。村上は不安定な状況を創に手紙を通して書いてくる。木室はその彼に「元気でやってほしい。君の健闘を祈る」を書き、村上からは「生きたい、死にたい」と絶望的な手紙が返ってくる。木室は「生きよ!」と激励する手紙を書く。この青年との交流からは、木室の青年への熱い期待が伝わってくる。

 そして、創とエミ子の老夫婦は、お互いの身と心に共に気づかいながら、老境を生き貫こうと考えている。創が出かける時、エミ子が必ず口にする言葉がある。それは「歩くとき、注意してゆっくりと、階段はさらにゆっくり踏みしめて歩いてね」。深い愛情のある言葉だ。

 この映画のラストでは、満開の桜の道を車椅子にエミ子を乗せて、創夫婦が散歩をする場面である。暗黒の青春期、それに続く長い長い戦後の時代、共に歩いてきたこの夫婦。今や瑞瑞しく重厚な境地が伝わってくるラストだ。

 さらに、この作品には、その他木村監督らしい事実のイメージの具象化がたっぷり。10月18日から岩波ホールで公開される。

【お薦め映画紹介2】 ミハルコフ版「12人の怒れる男」はなぜおもしろいか?

山田和夫(映画人九条の会代表委員/映画評論家)

 ロシアの代表的映画監督ニキータ・ミハルコフによる新作「12人の怒れる男」(2007年)が公開されている。原題は「12」だが、邦題が踏襲したとおり、1957年のアメリカ映画「12人の怒れる男」(監督シドニー・ルメット)のリメイクであることはたしかで、そのドラマの着想と骨格は確かにルメット作品にのっとっているけれど、明らかに1957年のアメリカと2007年のロシアという時代と民族の違い、ルメットとミハルコフという作家的個性の違いは歴然。その相違に由来するロシア=ミハルコフ版は、かなり正直に今日のロシアとロシア映画の現実を映し出している。そこがおもしろいし、そこに立ち入らない限り、単なるハリウッド映画のリメイクとして見過ごしてしまうおそれがある。

 ルメット版がつくられた1957年は、1940年代からハリウッドに荒れ狂った「赤狩り」がようやく峠を越し、ブラックリスト組のたたかいが実を結びはじめたころ。ルメット版はメキシコ系混血児の少年が父親殺しの容疑で裁判にかけられ、12人の陪審員が最初は1人を除いて有罪に手をあげる。ヘンリー・フォンダ扮する一人だけが疑問を出し、一人また一人と陪審員の同意をかちとり、ついに勝利する。その間、討議する部屋は密室、戸外は夏の豪雨が降りしきる。討議がついに正義の勝利となったとき、窓をあけると豪雨は止み、太陽が再び輝く。そのなかを人々は帰路につく。あざやかな映像的転調に「勝利」の喜びを溢れさせた。

 その大筋はたどり直しているようにみえる今回のミハイルコフ版は、見終わってまったく対照的な重く沈んだラストでしめくくる。容疑者はチェチェンの少年で、自分を養育したロシア軍将校の義父を殺した罪を問われている。最初一人だけが有罪に疑問を呈し、討議の中でついに無罪の評決にたどり着くのはルメット版と同じ。しかし、その評決によって容疑者が解放されたラストから、新しい問題が始まることを映画は明示する。それはいまのロシア社会の闇につながる深刻な事実を示唆する。

 その過程で12人の陪審員の人物設定は、今日のロシア社会から周到に選ばれている。監督のミハルコフは、元将校で退役して画家生活を送る。当然ルメット版のヘンリー・フォンダに匹敵する役どころと想像されたが、討議の議長役を引き受け、最後まで意見を言わない。そして言い出したあと、一気にリーダーシップを発揮して解決に導くが、その「解決」も想定外の意外性をもつ。その「解決」が「解決」にならないことの深刻さにつながる。いわゆる“ネタばれ”を避けるため、これ以上語ることを避けるが、ぜひそこのところをしっかりと見すえてほしい。

 映画は2時間45分の長尺だが、12人の陪審員は全員男性、女性は回想として挿入されるチェチェン人少年の母親だけ。しかし男優たちは例外なく、ロシア演劇の長く深い伝統にきたえられた演技陣の層の厚さを物語り、まるで12人一人ひとりの「ひとり芝居」を見る思いがする充実感が見事である。

 旧ソ連時代のいわゆる「共産主義」への不信が発言されたり、チェチェン紛争への偏見もむき出しにされる。一人ひとりの発言とその変化は現代ロシアの人間群像を見る思いがするし、そこに働くミハルコフ監督の計算は心にくいばかり。その最たるものは、最初に疑問の手をあげる男はミハルコフ演じるキャラクターではない。その男がどういう思想の持主か?は、ラスト近く、解決したあとのささやかな行動で明らかにされる。そこもぜひ見落とさないでほしい。

 この映画はミハルコフ監督の演出と演技における卓抜した力量を示す好作だが、手抜かりのない「計算」が見えすぎる部分もある。そこも論議すると面白い。監督はロシア映画界最大の実力者であり、政界にも大きな影響力と深い人脈を持つことで有名である。そのことを抜きにして、映画の「計算」を読み切ることは不可能である。この映画の面白さの一つである。

(2008年9月8日)

内閣官房の「核認識」に唖然!

 8月5日、広島パシフィックホテルで行われた「核のない世界を!2008MIC広島フォーラム/終わらない原爆被害」に参加した。

 フォーラムの基調講演では、高橋博子氏(広島市立大学平和研究所講師)が、アメリカの原爆実験における放射能の報道規制、原爆投下後の日本での報道規制の真相を明らかにした。このことが、今もアメリカ人の核兵器や放射能に対する意識を歪めている(映画「インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国」の原爆実験場のシーンなど)。

 と思ったら、日本の内閣官房の「国民保護ポータルサイト」にも、次のようなことが書かれていると言う。サイトを開いて見たら──

 ──唖然。唯一の被爆国である日本の内閣官房が、この程度の「核認識」とは。アメリカ人だけを馬鹿に出来なくなった。

(映画人九条の会事務局長)

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