映画人九条の会Mail No.24

2007.11.09発行
映画人九条の会事務局

目次

12月8日(土)午後に、映画人九条の会第2回交流集会!

──大勢の方々のご参加をお待ちしています!──

 映画人九条の会は来る12月8日(土)、東京・文京区民センターで「映画人九条の会第2回交流集会」を行います。

 安倍内閣のもとで改憲手続き法が成立し、3年後の改憲が政治日程化しましたが、7月の参議院選挙で自民党が大敗し、安倍首相が内閣も投げ出してしまったため、改憲勢力は戦略を組み直さざるを得なくなりました。と思っていたら、今度の福田首相と民主党・小沢代表による突然の党首会談とそれに続くドタバタ劇、茶番劇です。小沢代表は押しかけたマスコミの前で辞任を表明し、「大連立」は失敗したかに見えましたが、小沢代表のみっともない辞意撤回によって、密室での「大連立」は残りました。これからの政治は「大連立」基調で動いていくでしょう。

 小沢代表の「自衛隊派遣は国連決議に基づいて」論が、自民党によるこれまでの安保政策の大転換のように言われていますが、国連結議も基づこうが自衛隊が海外派兵して戦争行為に参加することは、明白な憲法違反です。小沢代表の主張は、9条改憲を呼び込むものです。改憲勢力はこの手で来たか、という気がしました。

 12人の映画人の呼びかけによって2004年11月24日に結成された映画人九条の会人ですが、今年11月で丸3年になります。結成当初は517人だった会員も、現在では1165名になっていますが、気を緩めることなく、4年目の飛躍を期し、九条運動のいっそうの発展をめざしたいと思います。映画人九条の会会員の皆さん、ぜひとも「第2回交流集会」に多数ご参加下さい。

 なお現在までに、大澤豊さん(映画監督)、小山内美江子さん(脚本家)、神山征二郎さん(映画監督)、高畑勲さん(アニメーション映画監督)、羽田澄子さん(記録映画作家)、降旗康男さん(映画監督)、山内久さん(シナリオライター)、山田和夫さん(映画評論家)の8名の方々が代表委員になることを承諾されています。

映画人九条の会第2回交流集会
■日時
07年12月8日(土) 13:30〜16:40
■場所
東京・文京区民センター2A
東京都文京区本郷4-15-14
電話 03-3814-6731
地下鉄後楽園駅下車徒歩5分・春日駅徒歩1分
■参加費
1000円
《集会の主な内容》
  • 映画人九条の会の新しい運動方向(改革案)の提起、「代表委員」の紹介とご挨拶
  • 山田洋次監督の最新作「母べえ」予告編上映
  • 神山征二郎監督の最新作「北辰斜にさすところ」予告編上映
  • 講演: 「南京事件70年──南京事件の真実は」 - 山田朗・明治大学教授
  • 講演: 「映画『日本の青空』のこれまでの上映を振り返って」 - 大澤豊監督
  • ──そして、参加者の皆さんによる討論・意見交換会!──

中津川映画祭シンポジウム報告 テーマ「映画で伝えること」──それは、戦争と平和

 日本の第一線で活躍する、神山征二郎、せんぼんよしこ両監督と、俳優の三国連太郎さん、香川京子さん、司会の映画評論家の山田和夫さんによるシンポジウムが、「映画で伝えること」をテーマとして、10月7日中津川映画祭で開催された。このシンポに先行して、いずれも「戦争を伝えること」を主題としている『北辰斜(ほくしんななめ)にさすところ』(主演/三国連太郎・監督/神山征二郎)と『赤い鯨と白い蛇』(主演/香川京子・監督/せんぼんよしこ)が上映された。『赤い鯨』は05年度作品、『北辰斜』は今年12月に公開される。

どういう想いで映画づくりをしてきたか

 三国さんは最終的には戦争に行かざるをえなかったが、初めは「人を殺しあう戦争に矛盾を感じて」逃亡。この「体験が私の人生観を構築した」。映画の仕事をするようになって「ラッキーなことに、山本薩夫さん、今井正さん、家城巳代治さん、渋谷実さん、木下恵介さんら、旺盛な反抗心をもった監督と仕事を」し、今も「平和な環境に足しになる映画をやらせていただける」。

 神山監督は「新藤兼人さん、今井正監督とか、山本薩夫さんとか、吉村公三郎さんとか、世の中にきちんと目を向ける監督の助監督をしてきて、映画をつくる姿勢を学ぶ。『北辰斜にさすところ』は私の25本目の作品。そのうち13本が戦争の映画」と述べ、香川さんは「18歳でデビュー、自分で出る作品は自分で選びたい。その気持が大きく、フリーになった」「わりあい社会派の作品に出演するうちに、女優は一社会人として世の中の動きとか、戦争と平和を考えながら生きていかなければならない」と思うようになり、それが「作品を選ぶ上での土台になっている」。

 せんぼんさんは「テレビは後で見た方と顔を合わせることはない。映画はこうして見た人と顔を合わせる」「戦争を伝えることはむずかしいが『おじい、おばあの言ったことはうそだと言うのか』(9月29日沖縄県民大集会のこと)と高校生が語っていたことを聞き、伝えることが確信に」「我々の世代のことを伝えることは、映画を作る人の使命」と語りかけた。

「平和のために」何を伝えるか――それは戦争体験

 シンポの後半は、せんぼんさんの若い世代に伝えることの大切さの発言に続いて、三国さんが「孫が5年生、あと10年もせずに大きな亀裂がおそってくる。おそって来ないという自信がありますか」と参加者に問いかけ(会場内からは「ありません」の返事)、つづけて「どんなに世の中から批判を受けようとも、平和に生きていける社会をバトンタッチしたい」と危機感を発言(泪ぐんで)。 神山監督は「戦争はやらない方がいい。戦争をしなければ広島、長崎、アウシュヴィッツもなかった」「南方には今も50万人もの同胞が帰ることができず海底に沈んでいる」(『北辰斜にさすところ』に関連して)。

 そうした発言を受けて香川さんは「私にも男の子がいます。心配です。さらに地球がどうなっていくか、日本の農業とか真剣に考えなければいけないのでは」「映画を通して少しでも伝えていきたい」。さらにせんぼんさんは「明日は今日よりよい日になりますように、希望があるように、映画第2作目はそういうモチーフにして映画をとりたい」と抱負を。「なぜこの場所に来るか、映画にたずさわっている方の肉声が聞ける」と、パネラーの皆さんの真摯な発言に、会場から呼応の発言。

 司会の山田さんからは「テレビで大宣伝している映画に比べ、困難な中で胸に届く映画をみる人が少ない。見る側の私たちがいい映画を見て、みんなと共に見る運動を進めていきましょう」と呼びかけ、日本の現実と真正面から向きあい、真剣に日本映画について語り合うシンポジウムとなって成功した。参加者は300人。

(映画人九条の会運営委員/羽渕三良)

映画「北辰ほくしんななめにさすところ」

神山征二郎

 「北辰斜にさすところ」という分りにくいタイトルを付けたのは私自身である。通常題名は営業に関わるために製作会社やプロデューサーが決める。脚本家が付けた題名をそのまま使うこともあるにはあるが案外稀である。

 このタイトルで随分といろんな方から「分りにくいから変えた方がよかろう」というご意見を伺った。

 製作資金をめぐってまだ本当に着手できるかどうか分らなかった頃、二度目の現地訪問をした。旧島津藩の城だった鶴丸城跡は鹿児島市の中心部、西郷隆盛終焉の地、城山の下にあり、旧制第七高等学校造士舘は戦災で焼失するまでそこに建っていた。

 七高の面影を残すものは七高生のブロンズの青春像と、七高寮歌の詩碑だけなのだが、そのうしろに薄茶色のタテ長の細い碑がもう一つ建っていて、そこに『北辰斜にさすところ』とゴシック体で刻まれていた。秋の始めで、午後の陽が碑文に葉隠をなして、風かすかになびいて、実に美しかった。

「自分が今度描くものはこれかな……」と思った。

 人生には歓びと哀しみがあり、映画の仕事は、その綾をあれこれと描くことなのだから、今目の前にしている光景、そこから自分が感じとったものを映画にしてみようと思ったのである。

 この企画を私に持ちかけてくれたプロデュサーは映画が本業の人物ではなく、手広く弁護士活動を現在もしている方だった。映画制作のおそろしさは身にしみて分っているので、当初「あまりおすすめはできません」と映画の専門家として直言した。

 「旧制高校の教育の中に、現代が失ったものの多くがあると思うので、是非に」と迫られた。

 その通りかも知れないが、その観点で映画を作りたいとは毛頭考えられなかった。映画で社会の乱れを正すなどという芸当は誰にしたって出来るものではない。

 が、自分の知らなかった旧制高校という教育の場、システム、方法論には興味が湧いた。しかも物語を形成する時代は前の戦争の時代である。思いがけない切り口で平和について描けるかも、と思った。主役に三国連太郎さんを得たのが私にとっては大きかった。「郡上一揆」「草の乱」を共にしてきた緒形直人さんの参加も有難かった。亡くなった北村和夫さんをはじめベテランが、まるで同窓会に集うがごとくそれぞれの晩年を演じて下さった。みな思いは同じだった。

 「もう戦争という時代は絶対にご免こうむる」ということで全スタッフの心が一つになった成果だと、思っている。

(2007年11月1日 新作「最後の早慶戦」ロケ地・上田市にて)

山田洋次監督が戦争と平和に取り組む 日常的写実の伝統で描く「かあべえ」

山田和夫(映画人九条の会結成呼びかけ人/映画評論家)

 山田洋次監督の新作「母(かあ)べえ」が完成、来春1月26日に公開される。監督は「半時代劇」と呼んでいたが、むしろ「半現代劇」、内容と主題は久しぶりに現代の切実な課題――戦争と平和――に取り組む力のこもった作品になった。

 ドイツ文学者野上滋(坂東三津五郎)は、1940年、治安維持法違反で検挙された。残された妻佳代(吉永小百合)、まだ少女の娘初子(志田未来)、照美(佐藤未来)は暗く厳しい時代を必死に生き抜く。滋の教え子山崎(浅野忠信)が野上家に通い、一家を支え、はげまし、家族同然になる。そして1941年12月、日米開戦。滋は転向を拒否したまま獄中で病死、山崎も召集令状を受け戦場へ……。

 まず気づくのは、松竹蒲田・大船調の伝統、そこで育まれた小市民的ホームドラマの豊富な蓄積が生かされ、家族間の絆、愛の交流が、緻密な日常的写真で描かれていくこと。

 山崎が始めて野上家を訪れ、長い静座から立ちあがれず、ひっくり返るおかしさ。佳代が隣組のあつまりに出ると、組長が「まず皇居遥拝」とみんなが座り直す。「天皇陛下は今は葉山の御用邸よ」と誰かが言うと、また方向を変えて座り直る。あの小津安二郎が得意とした軽妙な言葉のやり取り、そこから生れるユーモアがたくまずして、庶民の生の気持ちとなる。奈良から出てきた仙吉おじさん(笑福亭鶴瓶)の天衣無縫な言動が、そのまま、ますます暮らしにくくなる戦時生活を笑い飛ばす。特高や検事の訊問を受ける滋の苦しさもキチっと表現されているし、ギリギリのところで夫の名誉を守ろうとする佳代の健気さが心に残る。

 そうして日常的な親しみのなかで浮かび上がるのは、あの戦時中の信じられない不合理と非人間性である。いま憲法改悪による道を歩めば、前途にあるのはこの映画でよみがえらせる、あの暗い時代である。だからこそこの映画は一人でも多くの人たちが見て、率直な議論をかわし、今日を生き、たたかう私たち自身の有益な糧にしたい。この映画が上映と普及の段階で、どれだけいま広がる「九条の会」など反戦平和の大きな力に浸透し、広まるか、そこに大きな課題があると、私は思っている。

(2007.11.2)

ハリウッド映画人・自由へのたたかい 「地の塩」の上映会が大成功! =映画人九条の会後援=

 10月13日、エイゼンシュタイン・シネクラブ(日本)と日本映画復興会議の共同主催、映画人九条の会後援で、「ハリウッド映画人、自由へのたたかい――『地の塩』上映会」が文京区民センターで開かれた。当初の予想を大きく上回る200名近い参加者を得、山田和夫さんの講演に続き、ハリウッドで“追放”された映画人の自主製作「地の塩」(監督ハーバート・ビーバーマン)を上映。ニューメキシコの鉱山労働者のたたかいを描く、とくに女性たちの奮闘がきわだつ内容に大きな拍手が起きた。

 参加者には復興会議、映画人九条の会の会員、一般の人も多く見られ、大澤豊監督、高畑勲監督、女性九条の会・井上美代さんなどの顔も見られた。


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