【講演録】 ★3・28映画人九条の会学習集会★

安倍改憲と欠陥だらけの国民投票法
(=改憲手続法)

講師・山口真美(やまぐちなおみ)弁護士(前自由法曹団本部事務局長、常任幹事、改憲阻止対策本部事務局長)

2018年3月28日(水)/文京シビックセンター5階C会議室

はじめに

 ご紹介いただきました弁護士の山口真美です。私は自由法曹団に所属していますが、自由法曹団は戦前からある弁護士の団体で、全国で2000名を超える弁護士が自由と人権、平和と民主主義を守るということで取り組んでいます。その中でも特に憲法、国民投票法といった問題について、私もメインで取り組んでいますので、今日はそういう経験も生かしてお話させていただきます。
 「欠陥だらけの国民投票法」ということですが、この国民投票法を作ったのが安倍政権だということもありますので、安倍政権の改憲と国民投票法の関わりということも含めてお話ししたいと思います。

第一、明文改憲をめぐる情勢

5.3安倍首相メッセージ

 第一に、明文改憲をめぐる情勢ですが、大きく情勢が動いたのが、昨年(2017年)5月3日の安倍首相のビデオメッセージです。安倍首相は、憲法の9条1項、2項をそのまま残しつつ自衛隊を明文で書き込む、そして高等教育についてもすべての国民に真に開かれたものにしたい、ということで教育無償化の話を匂わせ、最終的には東京オリンピックが開かれる2020年を新しい憲法が施行される年にしたい、というふうに宣言したのです。
 そして今年3月25日に開かれた自民党大会では、結党以来の課題である憲法改正に取り組む時がきた、憲法9条の改正案を取りまとめていく、ということを改めて宣言し、改憲4項目の条文骨格案が示されました。
 今日も国会前行動が行われているように、森友疑惑があり、公文書改ざん問題があり、証人喚問があるというような事態の中で内閣支持率が下がっているにもかかわらず、安倍首相は、改憲を進めるという意思を改めて明らかにしています。

安倍メッセージの狙い

 5月3日のメッセージの狙いですが、これまでは憲法の改正と言ってもいろんな条文の話もあるし、例えば国民が誰でも納得しやすい環境権だとか、そういったことを使った「お試し改憲」をして改憲に慣れてもらってから9条に行こう、というような話もあったのですが、この9条1項、2項を残しつつ自衛隊を書き込むという宣言は、そういった二段階のお試し改憲はやらずに、本丸の9条から正面突破で改憲をやると、そのことを安倍首相自身が宣言したということになります。
 9条があってはやはり戦争法、安保法制というものが全面展開できない、なんとしても自衛隊を戦地で戦闘させるためには改憲が必須だ、ということです。
 ただ、他方で1項2項をそのまま残す、もしくは1ミリも変えないという表現の仕方をしていますが、9条に自衛隊を書き込むのに「加憲」方式を採用しました。これはどういうことなのか。
 本音を言えば、「国防軍」ということが自民党の改憲草案には書いてありましたから、改憲草案の通り国防軍にしたい、あるいは自衛軍にしたい、ということがあるのですが、それでは日本国民の大多数の賛成は得られない、政党の中でも多数になれないということがあるのだと思います。
 そういった中で、自衛隊の側面の一つとして災害救助というものが国民には多く宣伝されています。実際に東日本大震災を含めて自衛隊は災害救助をやっていますので、国民はそういった面をポジティブに評価しています。自衛隊のこの災害救助活動を評価する国民を取り込む意味もあって、自衛隊を書き込むと言っています。
 その意味では、9条を支持する人でも災害救助を行う自衛隊を評価する、こういう国民の意識を悪用するというか、国民を取り込もうとするものだと言えます。
 同時に、「加憲」というのはもともと公明党が言い出したことですが、その公明党の抱き込みを図るとか、教育の問題で日本維新の会の抱き込みを図るとか、そういう意味で改憲勢力を広く結集する狙いがあっての戦略です。子どもの貧困が取りざたされる中で、教育の無償化とか、経済的な理由で教育の機会が保障されないのは良くないという国民の願いを利用して、国民に飴を与えるようなやり方をしています。
 同時に、非常に切迫しているのは、2020年施行という期限を切ったということです。この意味では、彼が自民党総裁として3選して、自分の任期中に改憲をやるという不退転の決意の表明であると言えると思います。
 2020年に実際に施行しようとすると、今年は何をしなければならないか、そういったことが具体的なスケジュールとして政治課題化していきます。5月3日にメッセージをした頃は、9条の改憲案が自民党の中でもなかなかまとまらなかった。そういった中で改憲論議に一石を投じ、起爆剤にして政治日程していく、そういう意図があったかと思います。
 いま置かれている状況というのは、安倍首相の憲法を変えるための政治日程、その道筋を彼なりに何としても推し進めていくということをやっている段階になります。
 その意味では、9条がこのまま平和憲法の9条としての残るのか、それとも自衛隊が書き込まれてまったく性質を変えてしまうのか、日本が武力によらない平和の道を捨てるのかどうか、そういう戦後最大の岐路に立っていると言えると思います。
 その中で、私たちが国民投票ということで選択をしていくことが問題になっています。私たち自身が最大の選択を迫られる時ということになります。

第二、憲法と国民投票

そもそも国民投票とは何か

 第二の、憲法と国民投票ということですが、その国民投票とは何なのかということを少しお話させていただきます。
 基本的には、憲法を改正する際の手続きの一つです。憲法を改正する手続きが定められている憲法96条を示しておきます。

憲法第96条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
                2 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。


 この96条は、改正までの三つの手順を定めています。まず一つが、国会の中で衆参両院の3分の2以上の賛成による発議です。選挙の結果で改憲勢力が3分の2になったかどうということがよく報道されるのは、憲法96条で改憲の発議に衆参両院の3分の2以上の賛成が必要だからです。
衆参両院の3分の2以上の賛成で発議がされたら、次に国民投票による国民の過半数の賛成が必要になる、というのが第二段階です。
 これで国民の過半数が改憲案に賛成です、ということになると、最終的には天皇の公布で憲法改正ができ、施行されるという流れになります。
 憲法改正の重要な手続きの一つが国民投票ということになりますので、国民投票とはどういうものなのかを考える上での基本的な視点を三つ挙げます。
 一つは、そもそも96条が衆参両院の3分の2以上の賛成という、それ自体高いハードルを設け、それをクリアしたあとに、さらに国民の投票で過半数の賛成が必要だという厳密なルールを設けていることです。こういう憲法を「硬性憲法」と言います。一般の法律を作るときには国会の過半数の賛成でできますが、それに比べて憲法の改正の条件は非常に厳しくなっています。こういったものが硬性憲法ということになります。簡単には憲法は変えられない、ということになっています。
 それは、憲法がこの国のあり方、基本的なルール、基本的人権もそうですし、国の統治のあり方もそうですし、国民主権そのものもそうですし、平和主義もそうですが、そういう基本的なこと、大事なことを定めているので、それを時の政権の都合でころころ変えることがないようにする、これが硬性憲法の考えです。
 二つ目は、立憲主義というものがあって、これも憲法がなぜあるのかということなのですが、憲法は法律と同じように規範、ルールを定めたものです。憲法は、権力に対してルールを定めたものです。権力はあれをしてはいけない、これをしてはいけない、人権は保障しましょう、平和を実現しましょうということで国家権力に縛りをかけて、その濫用を防止する。これが立憲主義としての憲法の役割です。国家権力が暴走するのを防ぐ、そのためにはその要になる憲法が権力の都合でころころ変えられてはいけないということです。ですから硬性憲法、厳しい要件で憲法を変えられなくするのは、立憲主義の要請でもあるのです。96条の硬性憲法の定めは、立憲主義の現れになります。
 三つ目は、憲法というのはこの国のあり方を決めるものですが、国民主権は、この国のあり方を最終的に決めるのは誰ですかといったときに、それは国民です、ということにしているのです。ですので、国民の過半数の賛成を必要とする国民投票をやるということでその主権の実現をする、という考えを持っている、ということになるのです。そういったものとして国民投票があるのです。
 国民投票で国民の意思を問うということは、それ自体が国民主権、主権の実現の一環であるということになりますので、どれだけ国民投票の手続きの中で、きちんと国民の意思が正確に反映されるかということが、とても大切になるのです。
 あとから今の国民投票法が欠陥だらけということをお話ししますが、欠陥の最大のものが国民の意思を正確に反映しようという意識が足りないことです。その具体的なことはあとでお話ししますが、その根幹にある考え方ということで、ぜひ頭に入れておいてください。

国民投票までの道のり

 国民投票ですが、実際には国民投票までの道のりは、実に長い道のりです。私たちは今、国民投票までの道のりでいうと、安倍スケジュールの中の一番最初の部分に入るか入らないかの所にいることになります。
 憲法96条では三つの段階がありますと言っていますが、具体的に三つの道のりというのがあります。実際に憲法を改正するまでということになると、改正案というものが必要になってきます。
 自民党が今、改正案をまとめると言っていますが、政党や団体などによる改憲案というものが発表され、検討されるということが必要になります。自民党は今回の党大会(2018.3.25)で、改憲4項目の骨格案を取りまとめてきましたが、条文案をきちんと確定した段階で日本維新の会だとか公明党だとかとすり合わせをしていく、もしくはその中で議論をしていく、こういう道のりというのが絶対に必要になってきます。
 突然改憲案を国会に出して検討します、というわけにはいかないので、そういう改憲案の検討の段階が前提としてあります。この検討の中で、理想的には改憲勢力ですり合わせをする、その上で国会での発議の段階に進んでいくという流れがあります。ただ、国会の発議の中にもいろいろあります。
 まず、改正原案というものを発案する。国会に上程する、というやり方が必要です。安保法制などの時は、安倍内閣を中心にして内閣の閣法、内閣法としてドーンと出す。それを国会の中で叩いていき、与野党の賛否を問うということで進めていきました。安倍主導、内閣主導でやっていくという形のものになっていたのですが、今の手続きでは、改正原案の提案は、議員提案という形で参議院なら50人以上、衆議院なら100人以上の議員で提案しますというやり方か、憲法審査会に提案して憲法審査会の中で採決をして提案するか、おそらくこのどちらかしかない、ということです。安倍内閣で内閣法として出していくわけにはいかないのです。
 そうすると、最終的に3分の2以上の賛成がなければ発議ができないという前提に立つと、参院で50人、衆院で100人いればよいという人たちだけでポーンと出すというわけには行かなくなってきます。その段階で公明党なり、日本維新の会なり、改憲に賛同していく勢力の中での了承を取っていかなくてはならない。こういう道のりがあるということです。
 こういったものの中で議員提案なり、審査会提案なりをしていく。その中で提案が出たものを、ちゃんと今度は国会の審議にかけなくてはいけない。審議にかけた上で、衆参両院で改正原案を可決していくという流れになっていきます。
 3分の2以上の賛成が出た段階で、いよいよ国民による承認を取りましょう、ということになります。この国民投票までの間も、国民投票運動期間というものが国民投票法(改憲手続法)で定められています。一番短くて60日、長ければ180日と定められています。この期間、国民投票について是非を問う運動をした上で、いよいよ投票日に国民投票が行われ、その日に過半数で賛成の是非が問われる。これが国民投票までの道のりです。
 なので、実は今年3月25日に自民党の改憲案が取りまとめられるかどうかは、非常に重要だったのです。いま言った道のりに基づいて自民党が描く改憲日程を具体的な政治日程にあてはめたらどうなるのか。来年の7月には参議院選挙があります。今のような政治状況ですから、野党の共闘が進んで行くと、次の参議院選挙をやった時に、自民党を含めた改憲勢力が参議院で再び3分の2を取れるかというと、?マークが付きますし、そこまでの賭けをするというわけにはなかなかいかない。
 そうすると、来年の参院選の前に決着をつけなければいけない。しかし、例えば参議院選挙前に改憲勢力が無理やり発議までやったとしても、参議院選挙を跨いで国民投票になった場合、参議院選挙で負けて、発議した3分の2がなくなっちゃったという状況で国民投票をやって、果たして過半数の賛成を得られるのか。どう考えても、参議院選挙前までに国民投票をやってしまわなければいけない。
 そうするとどうなるか。来年は政治日程が目白押しです。まず、改憲勢力のキーパーソンになる公明党にとって、とても大切な統一地方選挙が来年4月にあります。公明党の支持母体の関係で、憲法9条に手を付けるような改憲政党として地方選挙に臨めるのか、という問題がありますので、これより前に発議をしたいとなります。
 統一地方選挙の後に持ってくると、4月、5月には天皇の退位と新天皇の即位があります。こういう行事と国民投票運動を一緒にやれるかという事態になってしまう。それが落ち着いたと思ったら、もう参議院選挙になりますので、非常にタイトな政治日程になってきます。
 そうすると、2019年の2月か3月頃にはもう統一地方選モードになってくるので、それより前に国民投票をやりたい、ということになってきます。それで、先ほど言った国民投票運動期間が少なくとも2ヶ月必要になりますから、どんなに遅くても今年の秋から冬にかけて発議しないことには国民投票まで持ち込めないんじゃないかと言われています。非常にタイトな政治日程なのです。
 今年の秋に発議をするとなったとして、国会にかけて議論するのがほんの数カ月でよいのですか、という問題が出てきます。安保法制でさえ、あれも急いで不十分な審議だと言われましたが、5月に国会に出て、秋に通った。それよりも重大な憲法の問題を、同じスパンかそれより短い期間でやるんですか、という議論になってきます。
 そうすると、今年の4月、5月には国会に提案をしたかった、その前に公明党や維新の会ともすり合わせをしたかった、となると3月の党大会ではどうしても改憲案を出しておきたかった、ということになっていたのです。
やはり森友・加計問題を含めて国民の非難を浴びて、安倍改憲の最初のスケジュールは大きなブレーキを掛けられている状況にあるということが、この国民投票の日程からも言えます。
 我々としては、この日程をずらせばずらすほど安倍改憲は難しくなる、ということが国民投票までの道のりの中にあると思っています。ですから、決戦!国民投票という形ではなく、そもそも国会に出させないということが、国民投票までの日程の中でも非常に重要になってきます。そして、今がまさにその時期に位置づけられると思います。

国民投票法(=改憲手続法)の概要

 国民投票法ですが、正式名称は「日本国憲法の改正手続に関する法律(憲法改正国民投票法)」ですが、これができたのが2007年5月14日です。施行されたのが2010年5月18日。2014年6月20日に一部が改正されて施行されているという流れになります。
 2007年というのは、実は第一次安倍政権の中での成立なのです。これを5月に強行して、7月に参議院選挙で負けて、9月に退陣したのです。この時も彼は、憲法を頂点とした戦後レジームからの脱却を宣言していて、任期中の改憲を標榜していました。当時、明確に任期中の改憲をしたいと言ったのは、歴代の首相の中で安倍首相が初めてだということで、報道されていました。そういう安倍首相が強行採決したのが国民投票法なのです。
 ですから、最初から安倍首相は、9条改憲を有利にしたい、戦後レジームから脱却するために9条改憲をしたい、そのための手続きとして自ら強行したのが国民投票法です。9条改憲を有利にするために、元々アンフェアなルールとして彼自身が作ったものです。ルールを自ら作ってゴールしやすいようにしている、こういうものなのです。だから私たち自由法曹団としては当時から、これは国民のための国民投票法ではなく、安倍首相の改憲のための「改憲手続法」だと命名していました。私が国民投票法と言う時に、必ず「改憲手続法」と言うのは、そういう意味です。

第三、国民投票法=改憲手続法の欠陥

 では、どうしてそれが国民ではなく安倍首相のための改憲手続法なのか、ということが第三からの話になります。
 とにかく、改憲派には自由を与え、護憲派には規制を課す、そういうアンフェアな手続法だということが第一点。
同時に一番怖いのは、改憲派の人たちにはお金がありますが、改憲派の人たちが「金で改憲を買う」ことができる、危険な法律だということです。そういう欠陥だらけの改憲手続法の下で実施される国民投票が本当に正確に民意を反映するのか、ということです。
 護憲派が言いたいことを言えず、改憲派の言うことが溢れ、それがテレビCMなんかで宣伝される。それに影響を受けた民意が本当の民意なのか、ということが問われる。そういう意味では、国民投票という形式を採っても、その中で実現する「民意」というものが歪められる危険があると言えます。

欠陥1=少数の賛成で改憲のおそれ

 欠陥として、大きく括って三つに分けてお話ししたいと思います。
その第一が、少数の賛成で改憲されるおそれがあることです。世論調査を見ても判るとおり、今の国民の中で9条に関してはこのままで良いという意見が多くて、9条改憲に賛成する人が少ないという実態があります。もしくは拮抗しています。そういう中で、なるべく少ない賛成で改憲ができるように仕組まれているということが言えます。
 その一つが、最低投票率の定めがないことです。最低投票率というのは、投票率が一定数に達しない場合には国民投票を不成立とする制度です。住民投票でも、何パーセント以上の住民の投票がなければ投票箱を開けないことがあったりしますが、そういったものと同じ制度です。真面目な話、大規模な災害か何かが起こって投票者が限られた数だけになってしまったとか、そういう時に国民投票などを成立させるのかということもあって、一定数の投票率が必要だということになるのです。
 ところが、(改憲手続法では)この最低投票率の定めがまったくありません。ですから、投票率がどれだけ低くても、その過半数の賛成で改正されてしまうのです。投票率が有権者の20%、30%ただったらどうするのか、それでも本当に国民の意思ですか、というのが第一点です。これだけ国の根幹に関わることであれば、一定の国民が投票に足を運んだということ自体を尊重すべきではないかと思います。それができていない。
 二つ目に、「有効投票数」の言いかえに過ぎない「投票総数」の2分の1以上という問題です。2分の1とは、何の2分の1かということです。法律には「賛成の投票数が投票総数の2分の1を超えた場合」(126 条、98 条)と言って、賛成投票と反対投票の総数でカウントします、となっています。
実際に何の2分の1かというと、一番最初にあるのは国民投票ができる権利を持っている有権者、というのがあります。「有権者総数」ということです。今だと18歳以上の日本国民ということになります。これが一番母数としては大きいわけです。
 次に、実際に投票所に行った人の数ということで、「投票総数」があります。投票総数の中には、この改憲案には賛成も反対もできない、ということで白票を投じるとか、無効票を投じた人の票も含まれています。普通の選挙の時にも、候補者の中に選びたい人がいない場合などに白票や無効票を投じたりしますが、とにかく投票に行って一票を投じた人の数が投票総数です。
 その次に、投票総数から白票や無効票を抜いたものが「有効投票数」です。それが賛成・反対を明らかにしたもの、ということになります。母数からすると、有権者総数>投票総数(無効票・白票を含む)>有効投票総数ということでどんどん減っていきます。
 改憲手続法ではこの中でどれを採ったかというと、一番母数の少ない「有効投票総数」を採っています。母数が少なければ、「過半数」も少なくてすみます。こういう仕組みになっているのです。システムとしては、少数の賛成でも改憲ができるということになっているのです。それを防ぐことができない。
少数での改正を防ぐためには最低投票率を定めることが一番有効な手段だと思いますが、その定めがなく、さらに母数を有効投票総数に絞り込んで国民の「過半数」を形骸化しているということです。
 例えば、昨年(2017年)の第48回総選挙を具体的に見てみると、投票率53.68%でした。その中で無効投票は2.68%ありました。そうすると有効投票率は有権者総数の52.24%になります。で、その過半数は実際の有権者総数の26.12%に過ぎません。有権者の4人に1人ということです。
 この時の総選挙が仮に国民投票と同日に行われ、国民投票も同じような投票率だったとすると、過半数は有権者総数のわずか26.12%ということになってしまうので、まさに文字通り少数での改憲が行われかねません。実際に国民投票になれば、国民の関心も違ってきますが、数字の上ではこういうことが起こり得るということです。
 本来は、国民がこの国のあり方を決める、権力の暴走を防ぐという意味では、多数の意思を反映するということが立憲主義の要請だと思いますが、それに適うものになっていません。
 実際にこれは、国民投票法が制定された時(2007年)と、それから改正について国会で議論した年(2014年)にも問題になっていました。それぞれの時に国会では附帯決議を付けて、注意事項としてこの点を指摘していました。最低投票率がないので「主権者の意思の十分かつ正確な反映」にならない、もしくはこういう仕組みの中での憲法改正では改正の「正当性に疑義」が生じる、という批判があったので、そういったことがないように最低投票率の検討をします、という附帯決議をしたのですが、何の検討もしないまま今に至っています。
 国会自身が検討を必要とする事項があるままの欠陥法だと認めているにも関わらず、欠陥のままにされています。これが第一の欠陥です。

欠陥2=国民の運動を規制するおそれ

 第二の欠陥は、これが私たち国民の運動を規制するおそれがあることです。この国のあり方を私たちが決める、そのための国民投票というのは、国民投票のその日の一票だけであり方を決めるわけではないのです。その前の、国民投票運動の中で、それぞれの国民が自分の意思を表明し、他の人の意見を聞き、憲法改正の是非についての沢山の公平な情報に触れて判断する。そのための運動があって初めて、本当の意味での主権の実現になるということなのです。
そのためにはなるべく広く自由に国民が運動できる、そのことがとても大事になってくるのです。ところが、これに関しては規制する方向が出てきます。
 一つは、公務員・教育者の国民投票運動の制限ということです。「特定公務員」というのがありまして、選挙管理関係の方とかが運動するということは、非常に影響を与えます。この前、ロシアでプーチン大統領の選挙の時に選挙管理委員の人が投票箱に不正な票を入れた映像が問題になりましたが、選挙管理関係の人は投票に影響を与える立場にあるということで、規制される方向があります。ここまではあり得るかと思いますが、それが2014年の一部改正の中で裁判官、検察官、警察官まで拡大されました。公務員というのは一定数ありますが、そこに国民投票運動の禁止を掛けてきているのです(102条)。
 裁判官、検察官、警察官にそれだけの規制を掛けなければいけないのかといったら、彼らだって普通に国民としてこの国のあり方を決める立場にいますので、どうしてこの人たちが規制されなければいけないのか、その根拠は私は薄いと思っています。
 その中に自衛官は入っていないのです。自衛隊を明文改憲で認めてもらうためには自衛官はいい投票源だと思っているからなのかなあと思いますが、自衛官が入っていないのになぜ警察官が入るのかと素朴に思いますし、そういった意味では恣意的な規制を掛けてきていると言えると思います。
 それ以外の一般の公務員・教育者の方についても、その地位を利用しての国民投票運動を禁止しています(103条)。「地位利用」の場面は限定されると言われていますし、罰則はありませんが、地位利用というのもグレーゾーンがありますし、実際にそのことが問題になった時は懲戒の対象になってくるということになれば、公務員や教育者の人もその運動について躊躇せざるを得ないということで、萎縮的効果は発生する可能性があります。
 これについては、こういう規制はない方がいいんじゃないかということを国会では議論しましたが、2014年の一部改正をした際には、むしろもっと規制しようという動きが出てきていました。これはいまだに実現されてはいないのですが、公務員が自ら企画、主宰、指導する組織的運動には規制を加えた方がいいのではないかとか(附則4)、公務員・教育者の地位利用による国民投票運動についても明確に罰則を決めて規制した方がいいのではないかとか(決議12)いうものです。
 国民投票運動と政治的な行動というのは区別がつけにくい面があります。9条改正をどうするのかという問題と、安保法制のもとでの自衛隊をどう評価するのかという議論は、切っても切れないですし、今の安倍政権のもとでの憲法改正はいいのかという議論は、政治的な活動と非常に結びつきやすいのですが、そういったものと結びつく地方公務員の政治的行為については、国家公務員と同様の規制をしたらどうかとか(決議14)、ということで、公務員・教育者の国民投票運動に関わるものに規制を加えようという動きがされています。これは非常に問題です。
 もう一つあるのが、なかなかクローズアップされないのですが、国民投票法の109条に、「組織的多数人買収及び利益誘導罪」というのが入っています。その条文の一部は次の通りです。
 「組織により、多数の投票人に対し、投票に関することを明示して勧誘し、投票に影響を与えるに足りる物品その他の財産上の利益もしくは公私の職務の供与をし、あるいは供与の申込・約束をし、または供応接待・申込・約束をしたとき」ということになった時は罰則を設けるということで、「3年以下の懲役もしくは禁固又は50万円以下の罰金」ということで、結構重たいのです。
 ただ、この「組織的多数人買収及び利益誘導罪」というのは非常に曖昧です。「組織」ってなに?ということになりますし、共謀罪の組織よりもよっぽど緩い組織になっていて、ここでみんなで集まっているのも組織ですか、ということになりますし、「投票に影響を与えるに足りる」とはどの程度のことを言うのかという話もあります。「物品」も広い。ここに紙コップと時計がありますが、これも物品です。「公私の職務」といっても「私」の職務と言ったら、本当に広くなってきます。そういったもので曖昧に規制を掛けて罰則を科して行こうということになっています。
 みんなで集まって、例えば団扇に9条改正反対と書いて撒こうよ、改憲なんか絶対に反対してください、と言ったら、これは「組織」によって「投票に影響を与える」「物品」を渡した、ということになるのですか、という話が出てくるのです。
 そういった意味では、労働組合とか市民団体の運動について、曖昧な要件で取り締まりをする、こういう危険があるということです。これについても批判があって、2007年の附帯決議(附帯決議12)では「構成要件(=罰則を定める時の要件)を明確化する」と言っていたのに、これも実施していない。欠陥のままにしているということで、警察の都合で規制がしやすいようにされてしまっています。
 こういったものが組み込まれたままで、国民の運動が自由にできない、あるいは頑張って自由に運動したら後から、横からこういう規制を掛けて妨害が入ってくる危険がある、こういう具合になっています。国民のための国民投票運動というものを規制する、こういう欠陥が第二の欠陥としてあります。

欠陥3=改憲派の宣伝が溢れる危険性

 第三の欠陥です。これが一番大きな欠陥です。国民投票運動で、発議された瞬間から改憲派の宣伝が溢れる危険があるのです。

(1)政党による放送、新聞広告──「広報協議会」による広報

 宣伝関係については二つ仕組みがあります。一つは、政党による放送、新聞広告です。これをどうやっていくかというと、「広報協議会」で決めると定められています。
 この広報協議会がどういうところかというと、衆参両院議員で構成し、議員比率で会派に割り当てるとなっています(12条)。そうすると、国民投票になだれ込んでいる時というのは、必ず改憲賛成派が3分の2を超えていますから、広報協議会のメンバーは基本的には改憲派が3分の2をなってしまいます。こういったメンバーが広報について決めるということになります。
 テレビ放送と新聞広告によって広報するということになっていて(106条、107条)、改正案自体の紹介をして、賛成政党と反対政党の意見を知らせるということになっていますが、改憲派が3分の2を構成していますから、協議会の中身を改憲派が主導できます。
  その中で、広報として認められるのは政党だけです。政党以外の団体は、広報を使うことはできません。市民団体や国民の意見表明の機会は、公的には保障されないということになっています。一般市民の意見表明の機会というのは、特にこの広報では認められていないのです。一定の市民が団体を構成したらできます、ということもありません。既存の政党だけです、ということです。
 しかも、その政党の無料広告が広報協議会の広報に組み込まれますので、全体が改憲案を啓蒙するキャンペーンになる危険性だってあります。改正案の紹介を広報でやらなければいけない。改正案を分かりやすくするというのは、改正案がとても良いことのように紹介することにもできるし、改正案をまず理解してもらいましょうと広報することに何の問題があるんですか、と改憲派が言って、改正案はこういうものです、こういうものです、こういうものですと紹介することも起こり得ます。こういう広報が、公的な部分でも非常にアンフェアにやられる可能性があるのです。これを第三者機関的なもので規制しようということも、何も定められていません。
 それでも広報でやるものは一定数限られていますし、賛成、反対の意見も一応平等に扱うということになっていますが、さらに問題なのが有料意見広告の問題です。

(2)国民投票運動と有料意見広告

 国民投票運動というのは、賛成、反対の投票を勧誘する行為です。先ほど、公務員に関しては規制があるとか、組織的な多数人に買収誘導罪があると言いましたが、それ以外の運動に関してはほぼ完全に自由です。このこと自体は、選挙の際の規制と違って良いことです。配る文書についても、宣伝カーについても規制はありません。戸別訪問もできますし、資金についても規制はありません。
 ですから、市民にとっても自由にできますが、改憲派にとっても同じなのです。資金に規制がありませんから、文書を撒くにしてもお金をかけて目立つものを大量に撒くことができます。宣伝カーの数だってお金をかけて大量に使うことができるし、戸別訪問もアルバイトの人を大勢雇ってやることができます。
 大阪の都構想の住民投票の時には、橋下徹さんの声で一律に電話が掛かってくるという運動もあったようです。お金をかけて、彼の声を録音し、都構想を認めてくださいというような宣伝を電話でしたのです。そういったことも、お金があればできることになります。国民投票運動には一人いくらまで使ってもいいですよ、という規制がないので、そういったこともできてしまいます。
 事前運動や投票日の運動の禁止もないので、とにかく運動が投票日までできますが、有料意見広告についてだけは、投票日の14日前から禁止になっています(105条)。でもこれは、禁止期間がわずか2週間だということが大問題なのです。
 市民も自由に活動ができますが、一方で改憲派も資金力を背景にして大運動を展開できる。なんでもできる状態になってしまいます。
 中でも、テレビ・ラジオを使った有料広告は宣伝効果が絶大です。その代わり、巨額の費用を要します。国民投票までの期間は60日〜180日ですから、どんなに短くても2ヶ月間はあるのですが、その中で有料広告の禁止期間は投票日前の14日間しかありません。そうなると少なくとも2ヶ月、多ければ180日間にわたって、資金力のある改憲派が有料広告をガンガン流してしまうということが考えられます。
 ゴールデンタイム、みんなが一番テレビを見る午後7時〜10時の時間帯ですが、そこに流れる 15秒CMの単価(放送料)は、1回数百万円かかると言われています。新聞の大手全国紙の1面広告の広告料は、約3000万円かかります。
 短期決戦の中で、要所要所でみんなでカンパを集めて護憲派の人が有料意見広告をやることはできるかもしれませんが、180日の間、効果的な有料意見広告を何千万円、何億円使ってやれますか。
 例えば、人気番組を家族で見ている時に、そこに出ている有名な俳優さんや人気タレントがCMに出てきて、「自衛隊に感謝しています」みたいなことを言って宣伝することも考えられます。そういうCMがポンと入ることもあり得るのです。
 「ありがとう自衛隊」というキャンペーンで流しているものでは、自衛隊が災害救助のために頑張っている写真がちりばめられています。15秒CMの中では、難しいことを言わなくてもいいのです。災害救助で頑張っている自衛隊の写真をポンポンと載せ、その中で子どもたちとニコッと笑っている自衛隊員の顔を流し、有名俳優などに「ありがとう自衛隊。この気持ちを形にできるのは●月●日の国民投票です」と言われたら、多くの人がぐらっときてしまいます。こういうものを何カ月も流すということが出てくるということになります。こういったことが有料意見広告の怖さです。 それが自由にできます。
 これについても、こんなことで公平に改憲賛成、反対が国民の中で判断できるのか、と国会で問題になり、「公平性を確保」に「必要な検討」をしますと附帯決議(2007年附帯決議13、2014年附帯決議19)で約束したのですが、これもやらないままです。結局、投票日前の2週間だけ規制します、ということで終わりという形になっています。
さらに問題なのが、安倍政権によってメディアに対する圧力が非常に掛けられていることです。その中で、流行りの言葉で言うと「忖度」をメディアの側がしていく。改憲派の人たちがスポンサーになれば、スポンサーへの「忖度」が行われる。メディアはスポンサーが大好きですから。安倍政権に「忖度」して、改憲に都合の良い広告・宣伝を優先的にしていくことが考えられます。
 こうしたことが有料意見広告を席巻すると、草の根からの運動とでは大きな力の差が出てしまうのではないかと心配されています。

(3)欧米諸国と比較すると

 欧米諸国では、メディアの有料意見広告については、非常に規制されている実態があります。本間龍さんの著書「メディアに操作される憲法改正国民投票」(岩波ブックレット)にそれがレポートされていましたので、ご紹介します。
国民投票の制度がないドイツアメリカには、国民投票に関する規制の制度はありません。
 イタリアではこの間、国民投票が否決された(2016年12月)ことで政権がひっくり返りましたが、イタリアではテレビスポットCMは原則禁止です。ローカル局で回数均等の場合のみ許可しています。基本的にはフェアにやるか、大きな影響力のあるテレビのスポットCMは禁止されています。国営・民営放送ともに、公的に均等配分される広報時間が設けられています。テレビ放送関係者に対しては、不偏不党を保つ細かな法規制があります。また、新聞の意見広告についても均等な広告枠確保が義務付けられています。
 原則CM禁止で、それ以外に宣伝を打つ時にはなるべく公平に、フェアにやりましょうということが法律で決まっているのです。
 実は私も2007年2月、国民投票法が作られようとしている時に、イタリアの現状について自由法曹団で調査団を組んでイタリアに行って、テレビCMによる有料意見広告は原則禁止ですという現場の実態を聞いてきました。
 このテレビスポットCM原則禁止という規制がどうしてできたのか。規制の法律自体は、「平等法」(メディアへの各政治主体が公平かつ平等にアクセスすることを保証するとともにメディアの規制を定めた法律/2000年2月。「実施規則」2006年5月)と呼ばれていました。
 当時、ベルルスコーニ氏が首相をやっていました(在任1994年、2001〜2006年、2008〜2011年)。この人はお金持ちでメディア王と呼ばれ、メディアとかサッカーチームを持っていました。ベルルスコーニ氏所有のチャンネルは視聴率で45%、広告率で60%以上という非常に高い率でした。
 こういうベルルスコーニ氏がいろいろ宣伝すると効果が大きく、彼が当時結成したフォルツァ・イタリアという政党は、結成数カ月で国民の人気を得て政権を奪取しました(1994年)。こういった中でメディアの報道というのが公正さを欠いたのではないか、という反省があってできたのが「平等法」という法律だということを、現地調査に行ったときに聞きました。
 きちんと公平にやりましょうという法律を作り、「アウトリタ」(情報通信の監督に関する独立行政委員会/1997年設立)という第三者機関で不正がないかチェックしています。
 アウトリタの人にもお話を聞いてきました。彼らは、国民投票の広報が政治的に歪められないようにきちんとチェックすることに、非常に誇りを持ってやっている、という話をしていました。こういったことがやはり非常に重要になってくると思います。
 フランスもそうです。テレビ・ラジオのスポットCMは全面禁止になっています。公的に配分される無償広告枠でのCM放映は可能です。
 新聞や雑誌等での広告展開に関して、あまり規制がないようです。新聞や雑誌というのは、日本と欧米先進国は状況が違うのです。日本では朝日や毎日、読売などの新聞は毎朝ポストに届き、圧倒的な発行数を持っていて影響力が違うのですが、欧米先進国ではそういう形にはなっていませんので、そこまでの影響力がないという判断のもとで大きな規制はされていません。
 また賛成、反対両派の広報活動を監視する第三者機関が設置されています。
 イギリスも同じです。テレビスポットCMは全面禁止です。公的に配分されるテレビの広報スペースは無料で、新聞、雑誌等での広告展開に関する規制はあまりありません。ただ、イギリスがEU問題で国民投票をやった時には、それでも雑誌広告関係で徹底した宣伝をやったということですので、お金のあるところが宣伝をしていくことは、大きな影響力を持ってくると思います。
 資金力の差によって影響を受けないようにする、もしくは国民が一人ひとりの国民として平等に声を出せるようにする、という工夫なしに一方的に自由にできるというのは問題があると思います。
 スペインでも同じです。やはりテレビ・ラジオスポットCMは全面禁止です。これもフランコ独裁政権時代に、国民投票が独裁を正当化する手段として政治利用された歴史に対する反省だと言われています。
 欧州の主要国では、軒並みテレビCM禁止です。それは裏を返せば、それぞれの国での独裁的な政権の問題だとか、それへの反省のもとにできています。それは非常に重要なことだと思います。
 映像と音で情緒に訴えるテレビによる印象操作、安倍首相の好きな言葉ですが、その危険性にちゃんと配慮しないといけないと思います。
 お金があれば宣伝できる、お金がある人の声が届くということでは、その結果が本当に国民の声と言えるのだろうか、という問題意識を持たなければいけないと思います。アンフェアな改憲手続法では、国民投票の民意が歪曲されるおそれがあります。これが第三の欠陥です。

第四、安倍改憲阻止に向けて

日本と世界の宝、憲法9条

 第四の安倍改憲阻止に向けて、ということで最後のお話をしたいと思います。憲法9条は日本と世界の宝であり、大切なものです。私たちの対案はやはり9条なんだ、という思いを大事に持っている必要があると思います。
 レジュメに「9条が持つ意味」と書きましたが、(1)政府の行為によって戦争をしてはいけないと書いてあります。縛られる側が政府だということが明確になっているのです。9条も、時の政権への戒めなのです。(2)2度と被害者をつくらない。そして(3)日本も含めて2度と国民を加害者にしない。この両方をちゃんと誓ったものが9条だと思います。殺し殺されない、国土を火の海にしない、相手の国も焦土にしない、この二つをきちんと誓ったもの。平和の裡にともに暮らしていける権利を守るためには、戦争をしてはいけない。このことを約束したものです。それを(4)国民と国家との約束とし、そのことを憲法前文も含めて(5)国際社会に宣誓したものだと言えると思います。
 前文は、こういう憲法の精神をもって、我が国が「国際社会において名誉ある地位を占めたいと思う」と謳っています。
 ですから皆さん、考えてください。憲法9条を変えることしか考えていなくて、アメリカの核の傘のもとで抑止力でやればよいと言っていた安倍首相がやった朝鮮半島に対する対応は今、まったく裏目に出ています。これから先、アメリカのトランプ大統領と北朝鮮の金正恩政権との会談が上手くいくのか、韓国との会談が上手くいくのかどうかということはありますが、韓国の文在寅大統領を中心にオリンピックを契機にして、対話への道を切りひらいたことで朝鮮半島情勢は進んでいます。
 そこで一番目立っているは日本置き去り、安倍政権置き去りということだと思います。ほとんど寝耳に水の状態で、トランプ大統領と金正恩さんが会うことになった。慌てて河野外務大臣を向こうにやって、安倍首相もアメリカに行きますという話になっています。安倍首相にとって4月というのは、実は改憲案を出して、国会で叩いて公明党や維新の会に納得していただかなければいけない一番大切な時期なのですが、その時期にアメリカに行かなければいけなくなったのです。強硬姿勢だけでやってきて結局、蚊帳の外という結論になっている。
 9条を持つ日本の力をちゃんと発揮して対話の道でやっていこうとして、韓国とともに働きかけてやっていたら、こんなことにはなっていないと思うのです。「名誉ある地位を占めたいと思う」と言ったときに、国際社会の中で平和への道、その中での対話を貫く道というものを示せる、それが力になって行くし、本当の意味で世界を平和に変えていくということができるのだと思います。
 そういったものをやはり9条は持っていると思います。その意味で、これを変えてしまうことは、国民との約束を破ることになるし、国際社会に向けた宣誓を裏切るものになるのだと、私は言えると思います。ですので、9条を変えるということは絶対にないようにしなければいけないと思います。

憲法9条に自衛隊を明記する危険性──それで国民が失うもの

 9条に自衛隊を明記する危険性については、時間が迫っていますので端折りながらお話しします。
自衛隊を明記しても現状は1ミリも変わらない、というのは嘘です。1ミリも変わらないのに、政権が政権生命を賭けて国民投票をやるなどということはありません。何百億円もかけません。政治生命を賭けません。彼が9条に自衛隊を明記しようとするのは、その明記によって得るものがあるからです。
 それは、平和や人権、民主主義より、軍事が優先される社会へ変えようということです。「制限規範から受権規範へ」と書きましたが、自衛隊なんか駄目だ、軍隊なんか駄目だよ、ということから、認められた存在だ、いいよね、ということに変わっていく。そうするといろんなものが軍事優先でもいい、というふうになっていくのです。
 例えば、私は横田基地公害問題の訴訟をやっていますが、国はこう主張します。米軍機の騒音がうるさくて住民が苦しんでいると言うが、救急車や消防車のサイレンだってうるさい。あれは公共性があるのだから、同じように我慢してもいいじゃないか。国は平気でこういうことを言うのです。
 自衛隊が認められて憲法に明記されたら、憲法に書かれた自衛隊が国民のためにやっているのだからいいでしょう、という話にすぐになっていきます。眠れない夜を過ごしている人たちの目の前でこういうことを平気で言う国が、自衛隊について言わないはずがありません。
 今は(自衛隊の活動は)土地収用法3条の「公共の利益となる事業」とは言われていませんが、自衛隊が憲法に明記されたら、当然そういうことになっていきます。自衛隊のための土地収用だってやれるようになるでしょう。
また、社会保障よりも軍事費が優先されるでしょう。今は9条の枠の中で自衛隊を見ているので、軍事費はGDPの1%前後となっていますが、憲法に書かれたらやってしまえばいい、使ってしまえばいい、ということで、それも大幅に超過していくおそれがあります。
 それから軍法の制定とか、軍法会議の設置ということになって行くことも考えられます。
 いままでは、やはり9条2項があったことで抑制されてきた自衛隊の行動というものが、自衛隊が憲法に書かれているのだからいいじゃないか、もしくはその存在意義を問われることがなくなったので遠慮しなくて良くなった。書かれてしまった自衛隊は、改めて憲法を改正しない限り存在し続けて構わないということになるのですから、抑制が利かなくなってしまいます。
 開会のご挨拶にもありましたように、「必要最小限度」という限定の文言さえ削っていくということになれば、自衛隊の活動の幅がどんどん広がっていくことになります。
 戦争法のもとで集団的自衛権が一部行使できることになりましたが、実際にはその実態の中で実効性というのが問われています。PKO南スーダンでは、これ以上やって自衛隊に死者が出たり、戦闘行為に巻き込まれたら国民の批判がたまったものではないということもあって、撤退が早くなったということがありましたが、憲法に書いてしまえば、批判されたとしても自衛隊がなくなることはないということになりますので、さらにいっそう集団的自衛権を行使する方向に流れていくだろうと思います。
 自衛隊は「軍隊」としての実質を備えていくと思います。「必要最小限度」の実力組織という言葉もなくすということですが、護衛艦「いずも」を空母にするとか、今でも強襲揚陸艦と呼ぶべき輸送艦「おおすみ」「しもきた」があるとか、米軍と一体となって米軍の敵に攻めていって爆撃をする、もしくは核兵器を落とす爆撃機を護衛するといったことをやれる、そして敵基地のところまで攻撃できる自衛隊を作っていくということになります。
 そういう予算措置もどんどんできるようになって、気がついたら「中身は軍隊だ」という自衛隊になる。こういうことが明文として書き込まれた自衛隊として認められていく危険があります。
 その意味で本当に自衛隊を書き込まれてしまったら、この国が変わります。戦争するための改憲なんだということを今、はっきりと確認しなければいけないと思います。

衆参両院で提出・発議させないたたかいが大切

 その意味では、改憲を絶対にさせないという取り組みが大事だと思います。国民投票という過程の中で、国民投票をしても絶対に改憲派が勝てない、そんな結 果になったら危ない、政権が崩壊するかもしれないと思うぐらいにいま追い込んでいくということが大事だと思います。< br>  国民は9条改憲に反対だ、平和憲法を守るんだ、という声が届いていけば、発議に持ち込めないという形になると思います。
 ですので、安倍9条改憲NO!3000万人署名を集めて、みんなの声を国会に届け、街頭での宣伝や学習活動をする中で、やはり9条は大事だという世論を 作り上げていき、改憲派を押し返していって、こんな欠陥だらけの国民投票法は使わせない、という闘いを何としてもいまやっていきたいと思います。後半は ちょっと端折りましたが、以上で私の話を終わります。(拍手)

質疑応答

 司会;山口先生、ありがとうございました。いざとなれば、改憲が発議されても国民投票で否決すればいいんだ、というふうに思っていらっしゃる方もおられ ると思います。そのこと自体は間違いではありませんが、しかし肝心の国民投票法の内容が護憲派には圧倒的に不利なものになっていることがよくお判りいただ けたかと思います。日本の国民投票法は、ヨーロッパ各国の規定に比べて非常におかしなものであることもはっきりしました。まだ少し時間がありますので、皆 さまからご質問を受けたいと思います。

【質問】二つ質問があります。一つは、仮に国民投票になった場合ですが、先生がご指摘になった欠陥部分、附帯決議をしたにもかかわらず何も進んでいない状態のまま国民投票になだれ込むのか、ということです。
もう一つは、いま自民党が検討している改憲項目は4項目だと言われていますが、これを国民投票にかけるとしたら、一項目ずつに○×を付けるのか、あるいは一括して○×を付けるのか、どちらになるのでしょうか。

山口;附帯決議が実施されずに欠陥のままでも国民投票をやるのかというご質問ですが、基本的にはやれます。正式な法律として国会の手続きを経て制定され、施行もされているということですから、この法律のままやるということはできます。
批判されるとか、正当性を問われるということはありますが、実際に国民投票の有効性を問うものが法の中に入っているわけではありませんので、この法律のままやってしまって、国民投票で何千万人が賛成に票を投じたという結果に基づいて国民投票が認められてしまうということになります。
欠陥のままでもやれてしまいますので、実際に国民投票にもつれ込んだ時には、その結果については徹底的に批判していかなければいけないということになります。
むしろ有料意見広告の問題については、テレビ局や新聞社などに客観的、理性的な形でフェアに国民投票ができるように自主的規制をすることがメディアの社会的責任ではないかということをきちんと追及して、規制をかけていくことをしないといけないと思います。しかし、法律自体はそのままやれることになっています。
  ただ、こんなに欠陥があって附帯決議もこんなにあるのに、それでもそこまで好きにやるんですかという批判をするときには、この附帯決議をきちんと使って批判していくことになるかと思います。
  投票の仕方については、「関連する事項ごと」にまとめて投票する、という言い方をしています。実は法律家の間でも議論があるのです。まとめて一括してやっちゃうのではないか、という意見もありますが、さすがに「関連する事項ごと」と言っていますので、改憲が4項目であれば、おそらく自衛隊もの、緊急事態条項もの、参院選合区解消もの、教育ものごとの投票になるのではないでしょうか。
  合区関係では47条と92条がありますが、それを2本一括でやるのか、条文ごとにやるのかということになると、「関連する事項ごと」ということで、まとめてしまわれる可能性はあります。47条の改定の時に何で92条が出てくるのかというと、広域の自治体の定義に齟齬があってはいけないということでそういう形になっていますので、一括してYESかNOかにしないと法律の体系として成り立ちません。となると、これはまとめて投票するようになるだろうと思います。
ただ、47条の合区問題と9条の問題はまったく関係がありませんので、これを一緒にすることはさすがにないんじゃないかというのが、「関連する事項ごと」の常識的な理解です。
それも国会で押し通すのと違って、国民に一票を問うことになりますので、9条改定と合区も一緒、何も一緒ということなると、それこそ国民の意思が読めなくなってしまうということで、投票の正当性に対する批判が出すぎてしまうんじゃないかと思います。
9条がらみはついては、例えば改定案が9条の2、9条の3みたいな形になって、内閣の統帥権などがくっついてきた時には、それは一つにまとめられることはあるかと思います。自衛隊を認めてもらうようために、やたらとシビリアン・コントロールを強調するような条項を付けて、それをひとまとめにして投票にかけるようなことはやるかなと思います。
「関連する事項ごと」ということになっていますので、少なくとも大きく分けて四つぐらいの状況になって行くのではないかと考えています。

※この後もいくつかのご質問とご意見が出されましたが、紙面の都合で割愛させていただきます。


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