【講演録】 ★映画人九条の会4・25憲法学習会★

自民党の改憲草案を斬る!

講師・小森陽一 (東京大学大学院教授)

2013年4月25日(金)/文京シビックセンター5階C会議室

イントロダクション

 皆さん今晩は。小森陽一です。今日は「自民党の改憲草案を斬る」ということでお話させていただきますが、NHKの元プロデューサーで、ドキュメンタリー映画「加藤周一 幽霊と語る」を作られた桜井均さんが同じテーマのもの(あぶない憲法の話/小森陽一さんによる「自民党憲法改正草案」解読)を編集してDVDなどで出していますので、今日、分かり切らなかったという人は、そちらの方も見て下さい。
 まず大枠として、現在の非常に大きな特徴は、自由民主党という政党は生まれた時から改憲政党なわけですが、とにかく前文から一番最後まで全部変えるということで、2005年10月末の段階で郵政選挙で国民をだまして圧勝し、衆議院で3分の2以上の議席を小泉政権が取った段階で、「自民党新憲法草案」というのを出しました。
 これは、憲法9条2項をばっさり削って自衛軍を保持するということを明記した、まさに当時アメリカから要求されていた9条2項を削って自衛隊を軍にするということに焦点を絞った、ひとことでいうと2000年代から強烈にアメリカが要求してきた、9条2項を中心とした改憲案でした。

今回の「自民党改憲草案」は単なる保守復古ではなく、天皇中心の新しい国家構想を打ち出したもの

 しかし今回の──今回というのは、つまり自民党が野党に転落している段階で、改めて与党に返り咲こうとしながら、「日本会議」を中心とした右翼グループなどが、かつての侵略戦争は自存自衛の戦争であったという、戦争を正当化する歴史認識を中心に編集した──「新しい歴史教科書をつくる会」は二つのグループに分裂しましたから二つの教科書会社から出ているのですが、その育鵬社系の、今回の安倍政権の教育政策の懇談会(教育再生実行会議)の中心メンバーになっている八木秀次という人が中心ですが、この「つくる会」系の教科書の採択を全国的に押し出しながら、その中で5年前に自ら政権を投げ出した安倍晋三という政治家を改めて自民党総裁として選挙戦に臨む、ということを取り組んできたその前段階として、いつ総選挙が起きても構わないような形で、自民党という政党は現在の憲法を変える政党なんだということを全面に出すために、2012年の4月27日に、今日お話する自民党改憲草案──日本国憲法改正草案というものを出したわけです。
 ですから、これが現在の安倍晋三を総裁とした自民党だけでなく、その前からの谷垣総裁時代、野党に転落していた自由民主党という政党の日本国憲法草案なのです。つまり、ここに自民党の国家像というものがはっきりと表れている。そしてそのことが、この後の重要な政治的な争点になっていくのです。
 その上で、まず最初に「前文」と「天皇条項」をめぐる問題についてお話していきたいと思うのですが、自民党の日本国憲法改正草案の「前文」は、最初の一節は次のように始まります。
「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される」
 ここで後半部には、わざとらしく「国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立」とか言っていますが、その前段階としてはっきりと「日本国は、長い歴史を固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家である」、つまり天皇制国家であるいうことを明記し、さらにこの「前文」をうける形で第一章第一条は、「天皇は、日本国の元首である」となっている。
 そうするとこれは、明らかに構成としては大日本帝国国憲法ですね。大日本帝国国憲法は、第一条に「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」いうふうに、天皇を統治権者として、つまり天皇を唯一の主権者として位置付けていたわけです。その大日本帝国憲法体制の在り方を、いわば条文としては踏襲するという形で「天皇の国である」ということを明記している。ここにどういう狙いがあるかということをまず、最初にお話します。
 多くのマスメディアの中においては、それから憲法改悪に反対している政党の主張においても、“これは立憲主義をないがしろにした、極めて保守復古の本質をむき出しにした内容です”という批判が多いんです。つまり、いにしえに戻る、保守であり復古である、という分析なのですが、私はそうは思いません。これは、全く新しい国家構想を打ち出しているというふうに考えなければならない。その中で、日本の国家を維持していくためには、「天皇を戴く国家である」ということをまず最初に言わねばならないという事態なのだと。ここがなぜそうなのかを見抜かないと、問題が見えてこないのです。

4月28日「主権回復の日」の狙いは何か

 これはこの間、一気に問題になってきましたが、今日は4月25日ですからあと二日後なんですけれども、なぜ安倍晋三政権が4月28日を「主権回復の日」として寿ごうとしているのか。そこに平成天皇明仁を無理やり引っ張り出そうとしているのか、その狙いは何なのかと、いうことにあるのです。
 ここに、従来の自由民主党の在り方から、これからの自由民主党の在り方へ転換していくための、今までの改憲政党としての自民党の在り方から、新たに脱皮するための論理、論理というのは非常に馬鹿げているから言いたくはないのだけれども、彼らなりの考えがここに込められていると思います。
 ですから保守復古、昔に戻る、という言い方では、この部分にグッと来てしまう人たちを改憲策動から切り離すことはできないと思うのです。このグッとくる来かたは、3・11以降、周到に布石が打たれてきているんです。つまり五日後に平成天皇の玉音放送があったわけでしょう。“3・11で大変かも知れないけれども、生き残った人々は死者を弔いなからがんばっていこう、自衛隊もがんばってくれ”と。
 これに関して、さきほど申し上げた「新しい歴史教科書をつくる会」の中心人物だった人たちは、一斉に喜びの声を挙げたわけです。平成天皇明仁が自衛隊の活動を寿いだ、これが一点目。
 二点目には、本来の天皇の姿である、国家のために祈る、そういう天皇ですね。つまり宗教的な中心としての天皇として、3・11の被災者のためにあらゆるところで祈りをあげている、と宣伝したわけです。
 ここにどういう意味合いがあるかというと、それは現在の日本国憲法が背負っている大日本帝国憲法との連続性とその不整合を分からないものにしてしまおうという意図があるからなのです。

日本国憲法が間違いだったとアメリカが認識したのが、朝鮮戦争

 これから話すお話は、四部構成になっている私の話の一部目です。これにすべての時間をついやすことができません。従って、これから話すお話の詳細については、朝日文庫から出ている『天皇の玉音放送』(小森陽一著)をお読みください。そこに詳細に書いています。
 まず、自由民主党という政党が、この憲法を変えなければならない政党として生まれたのはいつか、そしてそれはなぜか、ということを思い起こしていただきたいのです。
 安倍晋三が、主権回復の日として寿ごうとしている4月28日はどういう日かというと、ダブルミーニング、二重の意味があるのです。そのことを忘れてはいけません。
 1番目は1951年9月8日、朝鮮戦争の真っただ中で、朝鮮戦争を戦っているアメリカが、国連軍として北朝鮮に対して軍事制裁を加えるという形で、朝鮮戦争に日本を基地として出撃したわけです。
 ですから、アメリカが直接には北朝鮮軍と戦いながら、1950年6月25日金日成が38度線を越えて韓国に軍事侵入したから国連憲章第2条違反であるということで、ソ連がボイコットしたために、国連の安全保障理事会で軍事制裁決議が上がって、日本を占領していたのが国連軍ですから、つまりアメリカ軍が日本から行った、ということですね。
 1950年6月25日ですから、すでに1947年11月3日から施行された日本国憲法は、機能していた。さすがのマッカーサーも、お堀端の天皇と言われたマッカーサーも憲法9条第2項、つまり「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない」、これを無視して軍隊を作ることはできなかったのです。
 にもかかわらず戦争をし始めたときに、アメリカ軍の基地は至近距離の日本にあるわけです。そこを守る手立てがなければ、これは戦争にならないわけですよ。とにかくアメリカ軍は一斉に出てしまう。だったら日本列島のアメリカ軍基地は、日本人に守らせるしかない。しかし軍隊は作れない。
 さあ、それではどうするかと考え時に、装備は陸軍でアメリカ軍の基地を守ることはできる。そういう組織を作って、これに「警察予備隊」という名前をつけたわけですね。軍隊ではありません。それは、まさにマッカーサーが自分たちのGHQの占領下において作らせようとした、そして作らせた日本国憲法が間違いだった、とはっきりと認識したのが朝鮮戦争です。
 なんで間違いだったと認識したかというと、アジアに中華人民共和国のような大きな社会主義国ができる予定になかった形で、第二次世界大戦は終わったわけです。ソ連をアジアに出させないために、アメリカはソ連参戦直前の8月6日に原爆を広島に投下した。この原爆投下で、日本大帝国はポツダム宣言を受け入れると言わなかった。そしてソ連が8月8日にポツダム宣言に参加し、8月9日から参戦するわけですから、ダメ押しで8月9日、長崎に落とす予定ではなかったのだけれども、晴れていたのが長崎だったので、長崎に落として、それで10日に昭和天皇の政府はポツダム宣言を受諾するという連絡をするわけです。
 つまり原爆を落としたというのは、ヨーロッパにようにソ連とヨーロッパ大陸を二つに、ドイツを二つに分けた、そういう戦後の終わり方をアジアではしたくない、ということがアメリカの意図だったんです。それが、第二次大戦の終わりが、核時代、核戦争の幕開けになる、そういう構造の基なんです。
 このことがもう一度あからさまになったのが3・11以降です。日本の核政策がどういうことだったのかが多くの人たちによって明らかにされて、この問題が改めて注目されたわけですが、アメリカはそういう予定だったのです。
 けれども国共内戦が中国大陸で起きてしまって、1949年10月1日に中華人民共和国、つまり共産党の国が建国宣言をするわけです。
 ちょうどその年、1949年にソ連が核兵器を保有しているんです。だから、アメリカとソ連の核抑止力に基づく核戦争は、ヨーロッパを戦場に想定されているわけです、二つに割ったドイツを。ソ連としては、まずヨーロッパに配備したいと。だってアジア側は広大な中華人民共和国ができたんだから、恐れる必要ない。当時の能力では、まだ弾道ミサイルはないわけですから、飛行機でくるしかないから、アジア側から飛行機でソ連に原爆を落とすことはできないわけです。だったらヨーロッパ側でやる。
 だからこれは──通常兵器による戦争をやって良いかと金日成が訊いたら、スターリンがやっていいぞと言ったということが、和田春樹先生の「朝鮮戦争全史」という岩波書店から出ている本に、ソ連が崩壊した後に資料が明らかになって載せられています。
 朝鮮戦争は、まさにそのような核戦争時代に突入した中におけるヨーロッパとアジアの棲み分けとして──東西冷戦になっているヨーロッパと、そうなるはずはなかったアジアと。このアメリカの戦後世界の想定の違いの中で、朝鮮戦争というのは勃発したんです。
 もう一度戻ると、日本国憲法の9条2項があるから軍隊は作れない。警察予備隊を作った。そして一旦は北朝鮮軍を押し返します。このまま来られたら中華人民共和国が持たない。だけど正規軍が参戦すると本当の戦争になってしまいますから、中華人民共和国の人民解放軍の「自由軍」が参戦しちゃったということにして、「うちらは知りません、政府としては」という形で、中華人民共和国の人民解放軍がアメリカ軍を押し返した。
 そのやりとりをやっている中で、朝鮮戦争で原爆を使おうとしたマッカーサーは51年の4月に更迭されて、ここから休戦協定の話し合いの方向になっていく中で、しかし朝鮮戦争を戦っている北朝鮮も、それをバックアップしている中華人民共和国も、それをバックアップしているソ連や、ソ連が東ヨーロッパで後のワルシャワ条約機構という集団的自衛権を結ぶ国々を抜きにして、アメリカを中心とした連合国とだけ講和条約を結んだのが──これは当時、片面とかいろんな言い方をしましたけど──片面講和条約を結んだのが、1951年9月8日の「サンフランシスコ講和条約」です。
 これもすでに様々な議論がされていますけれども、ソ連が入ってないからこの時に領土問題があいまいになったんです。

「主権回復の日」は「主権売渡しの日」、押し付けられたのは再軍備

 だから、「主権回復の日」なんていうのは大嘘で、「主権売渡しの日」なんですね。その売渡しが一番はっきりしているのが──サンフランシスコ講和条約にはすべての閣僚が署名しておりますが、その後、吉田茂首相だけが連れ出されて、サンフランシスコ郊外のアメリカ軍の基地で署名させられたのが「旧日米安全保障条約」です。だから9月8日には、二つの条約が結ばれているということです。翌年1952年4月28日には、二つの条約が発効しているということです。サンフランシスコ講和条約と旧日米安全保障条約。
 この旧日米安全保障条約の中で、沖縄は基地の島としてアメリカに売り渡すということが明確になって、日本の基地も勝手に使ってくださいと明確になって、憲法9条があるにもかかわらず、前文には「アメリカが日本には最低限の防衛力を持つことを要求する」という再軍備要求が入ったのです。
 アメリカから押し付けられたのは、憲法じゃなくて再軍備なんです。このことを逆転させるために憲法がアメリカから押し付けられたんだというふうに言って、再軍備を自分たちの日本軍にするんだというふうにして、アメリカから押し付けられたことを隠そうとしたところから、「押し付け憲法」という自民党の議論が生まれてくるのです。
 で、そういう議論を最終的にチャラにしちゃおうとするのが、いま安倍晋三がやっていることですね。安倍晋三は戦後レジームを変えると言って、第一次安倍政権の時に自分の任期中に憲法を変えるとまで言って、それが大きな危機感を人々に抱かせて、九条の会が全国津々浦々で一気に作られていくという状況になったわけです。
 私は文学者として、「お腹が痛い」とか言って自ら総理の座を投げ出した人を、その後5年半も空白があるのに、なんで第二次安倍政権と言うのかと思います。自民党の長期政権の時は、佐藤栄作は何次までやったのか分からないけれど、それは第何次と言っていました。でもあれだけ空白があいているのに第二次。それは、2007年から2012年までの政治はチャラだった、無かったに等しい、という話でもあるわけです。
 そうやって連結してみると、第一次安倍政権の時に国民投票法を通しているわけですから、憲法を変えるための法手続きは全部完了している。だからあとはやるのみ。そうなると第二次安倍政権は、改憲を現実化させる政権だという役割もはっきりしてくる。
 そういう流れ、憲法改悪が現実化することがはっきりと見えてきた中で、なぜ4月28日を「主権回復の日」と言わないといけないのかというと、いま言った戦後の問題と日本の再軍備の問題はアメリカから押し付けられているんだ。そのことを忘却させるために、そこに最大の狙いがあるということが見えてきます。
 では忘却の装置は、何を忘却させるために働くのか。それはまず、再軍備は朝鮮戦争の只中で始まるということです。朝鮮戦争のための軍隊なんですよ、日本の軍隊は。
 朝鮮戦争は1953年7月、休戦協定だけが結ばれて、現在も休戦協定のままで、講和条約が結ばれていなくて、いま北朝鮮はその休戦協定を無効化すると言っているわけです。ですから朝鮮戦争問題の歴史を振り返るうえで、今ほど大事な時、大切な時はないのです。つまり、朝鮮戦争の休戦協定を歴史認識として忘形していたものものが、日々全面に出てくるから。
 でもそれは北朝鮮の戦略でもあるんです。だって、ブッシュ(ジュニア)大統領の時には、第一次安倍政権の時には、ブッシュ大統領は北朝鮮と朝鮮戦争の講和条約を結ぼうとしていたんですよ。それをやらせなかったのが安倍晋三です。
 それは、まさに安倍晋三がどういう政治家か──この話ができるかどうかは今日の時間枠では分かりませんが、安倍晋三が三世世襲議員として初めて国会議員になった1993年の総選挙がいったい何を日本にもたらしたか。それが9条問題とどういう関係になったのか。そこに絡んでくるんです。まさに最初の自衛隊の海外派兵をめぐるせめぎあいが行われたのが、1993年の総選挙です。
 そこで自民党の単独政権が崩壊し、小沢一郎の政界再編によって、7党1会派の細川護煕政権が作り出される。翌年、この細川護煕政権の下で、憲法を変えるために自由民主党が結党の時からやろうとしてできなかった小選挙区制が導入され、今の日本の政治の劣化がここまできている、というそういう事態ですね。
 そうふうにトータルに日本の戦後史の中における今現在の政治状況を捉えることができるかどうかということが、これからの私たちの運動の大事な歴史認識の問題としてあります。

日本の産業構造が日米安保条約体制の中に組み込まれていった朝鮮戦争

 話を戻しますと、朝鮮戦争はアメリカが日本を基地にして戦って、日本から全ての軍需品を調達して、それによって日本の戦後の経済復興をさせたわけです。「朝鮮戦争特需」という言葉があって、日本の大企業はこのアメリカがやった朝鮮戦争特需のおかげで立ち直ったんですよ。
 だから、まさにグローバルズと呼ばれている、いま世界競争で勝ち残っている日本の企業というのは、この時のアメリカの軍事費で生き伸びているわけだから、全部「日米安保保障」支え企業であることは間違いないのです。つまり、日本の産業構造自体が日米安保条約体制の中に組み込まれていったのが朝鮮戦争だったのです。
 そして1953年に休戦協定を結ぶんですね、7月に。この1953年の12月の、しかも12月8日です。日本時間でいうと日本が真珠湾攻撃をした日。日本時間でいうと翌12月9日にアメリカが世界大戦に参戦するんですが、アメリカ時間では12月8日が世界大戦にアメリカが参戦した日です。この日に──いま私たちは国連と呼んでいますが、あれは「ユナイテッド・ネイションズ」なんです。「連合国」ということなんですよ。なんで戦争やっているときは「連合国」と言って、戦争終わったら「国連」と言うのかと。この同じ英語に対する日本語の二枚舌は、同じニュークリア【nuclear】なのに、兵器の時には「核兵器」と言って、発電の場合は「原子力」と言うのと同じですよ。
 連合国総会で、まさにノルマンディー作戦でヨーロッパを解放する大英雄になるはずだったのに、ソ連が先にベルリンを包囲したんです。ヒットラーはソ連に降伏した、ということで、自分の名誉をソ連に奪われたのがアイゼンハワーという軍人です。そのアイゼンハワーがアメリカの大統領になった。アイゼンハワーは、第2次世界大戦の英雄からアメリカの大統領に天下りしたような人です。
 だってそうでしょう、連合国司令官の方が世界的な知名度は高いわけですから。アメリカ合衆国の大統領は一国の大統領です。連合国は何か国も束ねています。
 そのアイゼンハワーが連合国総会で、「アトムズ・フォー・ピース(平和のための原子力)」という演説を行ったわけです。それは、まさに日本に原爆を落として、第二次世界大戦を終えた──つまり12月8日から始まったのがアメリカが参戦した第二次世界大戦だから、それを終えて、アジアにおいて朝鮮戦争の休戦協定を結んだと。そのアメリカのアジア支配の上で「アトムズ・フォー・ピース」は不可欠だといって、日米安保体制のみならず日米原子力協定体制に日本を巻き込んだというのが1953年なのです。

マッカーサーはなぜ「間違えた」と思っていた9条を日本国憲法に入れたのか

 この時から問題は、ずっと9条です。ではなぜ「間違えた」と思っていた9条をマッカーサーは日本国憲法に入れたのかというと、これを憲法に入れなければ、昭和天皇裕仁を東京裁判に出さないで訴追しないということを、連合国は認めなかったからです。
 現在の日本国憲法というのは、大日本帝国憲法の改正なのです。大日本帝国憲法体制の延長線上にあるものです。大日本帝国憲法は、第一条で「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と言っているわけですから、主権は天皇ただ一人にある。だから、この天皇が戦線布告をできるわけだし、この天皇がやめると言わないと戦争は、やめられないわけです。
 だけど天皇が玉音放送で「やめる」と言った時のことだけを言って、始めたのはお前だろう、という部分を外しているわけですね。「始めたのはお前だろう」というと、裁判にかけなければいけないから。戦争の始まりと戦争の終わりを切り離すというのが、マッカーサーの戦略だったわけです。ここが問題です。
 今の憲法、六法全書を開いていただくと、一番最初は「朕は」で始まります。日本国憲法の一番最初は、「朕」という天皇の一人称です。
 なぜか。この日本国憲法は、大日本国憲法体制の帝国議会で議論されて、可決されているわけですから。この憲法が公布されたのは、天皇の名においてなんです。なぜかというと、大日本国憲法下において憲法を公布できるのは、主権者である天皇だけなのです。当たり前ですね。だから「朕は」なんです。
 ということは1946年11月3日、まさにその日は「文化の日」と呼ばれていて、昭和天皇がこよなく愛しつづけて自分の権威の支えにした明治天皇の誕生日──明治時代は天長節と言われていました。いいですか、この日に公布するわけです。1946年11月3日、日本国憲法9条というのは、昭和天皇裕仁の独り言なんです。分かりましたか、いまの私の話。ここを分かっていただかないと難しいんです。
 日本国憲法9条というのは、「日本国民は」が主語になっています。「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は、武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」
 「日本国民は」が第9条のちゃんとした主語になれたのは、1947年5月3日以降なのです。この時から、憲法が施行された日から、日本は国民主権の国なのです。1946年11月3日の段階は、天皇主権の国です。だから、繰り返して言いますが、1946年11月3日の段階において、「日本国民は」の背後には「朕は」があるんです。だって、主権者は天皇なんですから。
 ということは、あの太平洋戦争を行った裕仁が、自分の国は「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない」と言った。つまり陸海2軍の統帥権をもっていた戦争遂行の当事者が「もう戦争はしない、軍はもたない、国の交戦権は認めない」と言ったんだからいいじゃないか、というのがマッカーサーの他の連合国に対する論理なのです。
 このことを押し付けだというのだったら安倍晋三、それはどうなのか。昭和天皇裕仁を東京裁判にかけた方がいいとあなたは考えているんですか、という国会質問をどうして誰もやらないのか。そこに要があるんですよ。

「天皇を戴く国家」にしないと、この国は持たない?

 安倍晋三政権が背負っている日本国憲法草案の9条問題はあとでお話しますけれども、自民党改憲草案は、まず第一条「天皇は日本国の元首であり」いうことからと始めて、第三条で「国旗は日章旗とし、国家は君が代とする。日本国民は、国旗および国家を尊重しなければならない」としている。
 国旗、国歌尊重の義務を入れるということは、天皇を中心とした自衛的ナショナリズム国家ですね。それを作らないとこの後の日本はもたない、という判断を持っているからです。
 ナショナリズムというのは、人工的な感情で国民国家が作られて以降──つまりフランス革命以降ですね。それまで武装していたのは特権階級なんですから。貴族とか、日本で言えば武士。それを国民皆兵制の軍隊にしていくとなったときに、まさに国民主権という問題だとか──アメリカがなぜ銃社会かというと、アメリカが独立戦争をやった時に市民が武装していたから。だから市民は武装するんだ、それをやめるわけにはいかない、という議論が今でも続いているのです。
 だから、特権階級が占有していた武器を、国民皆兵制の軍隊を作る、国民軍にしたときに、お国のために命を差し出さなくてはならない、という不条理な論理を納得させるために生み出された心の動員の仕方の総体を、ナショナリズムというわけです。
 そこに太平洋戦争まで機能していた、天皇のために死ぬということを、本当はアメリカのために死ぬということを隠さなければならないから、天皇のために死ぬという枠組みを作らなければ、世界に類をみない対米従属植民地以下国家・日本というのを最早支えきれないと判断しているということです。ですから、これを復古だ、保守だと批判するのは、私は間違いだと思います。
 そうではなくて、保守ならちゃんと保守やってくれと、私たちは本当の保守の人たちには連帯を申し入れるべきなのです。これほどとんでもないクーデター的なやり口はないと。まあ、維新というのはクーデターだから、日本維新の会と手を組むのだからそれも仕方がない、ということになるのかもしれませんが、私は事態のそういうところに本質があると思います。
 つまり、日本の戦後史を全部なかったことにするために、この前文の「天皇を戴く国家である」というところから、天皇を戴くというところから、国民主権になったときの昭和天皇裕仁の位置。つまり第2次世界大戦をアジアにおいて遂行した、15年戦争を遂行した、最初に宣戦布告をしていた主体である昭和天皇裕仁を歴史から消すために狙われているのが、ここなのです。ということが、まず最初の問題です。

現行憲法の国民主権というのは、9条があってはじめて成り立っている

 ですから、当然のことながら、主権者が国民になったというのは、1946年11月3日に「朕は」の名で出た、この憲法前文の第一文に、憲法9条のことを宣言するわけです。
 「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることがないやうにする」──これが憲法9条第1項に当たります。
 で、「することを決意」する。「前項の目的を保持するために、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」というのが決意なのです。
 これがほかの連合国にはない、日本国憲法の独自性です。絶対に政府の行為によって戦争の惨禍が起こることがないようにすることを、主権者である国民は決意したと。これが第2項なんです。
 ここに、主権者になった国民の決意そのものが込められているのです。そしてその後に、国の命令でお前は国のために命を捨てろという──ナショナリズムは国のために命を捨てることを正当化させるためにある思想と感情だけれども、そういうことは一切国からは言われない、ということがあって、その直後に「ここに主権が国民にあることを宣言し、この憲法を確定する」とある。
 だから現行憲法の国民主権というのは、9条があってはじめて成り立っている。他の国のように、国家のために武装して戦う国民主権じゃないのだ、と言っている。ここを一緒にするなということなのです。日本が、本当の意味で国民主権の完成された憲法体系を持つ国である、憲法9条2項が世界に誇れるものである理由は、ここにあるのです。
 他の国の国民主権は、国民が武装して国家を守るための国民主権なのです。この違い。これがまさに日本国憲法の思想と言ってもいいと私は思います。これを全部消すというのが、自民党憲法改正草案のまず一番中心的な問題です。

立憲主義を断ち切り、新自由主義が完結する国家に

 ですから当然のことながら、天皇と摂政には憲法尊重義務を外して、憲法を立てて権力をしばるという立憲主義、立憲国家の考えとは全く逆に、憲法を国民に守らせる義務を入れる。
 これは明らかにヨーロッパでずうっと、フランス革命前後から、もちろんその前にイギリスでは王の権力と国民が対峙していく、そういう中で権力者としての王を憲法でしばるといった体制を作ってきました。これとの関係を全部断ち切るということです。
 この間の安倍晋三の国会での答弁は明らかですね。この問題を出すと、「いやそんなもの、絶対君主制国家ではないんですから。民主主義はそれなりにあるのですから、いいじゃないですか」こういう言い方をしています。絶対君主と、権力を持たないものたちの関係ではないんです。最初、絶対君主と対峙していたのは貴族です。それがブルジョアになりという、誰が権力を持ってきたのかという歴史まで全部消し去ろうとする形で、安倍晋三政権の下でこの自民党憲法改正草案が機能しているのです。
 なぜかというと、今まさに権力を持っているのは資本ですから。世界中をグローバル化の中で支配しようとしている、グローバルズと呼ばれている、非常に限定され企業ですね。この世界中の労働者から全ての富を収奪しきろうとしている多国籍企業グローバルズのために機能する国にする、という方向への転換です。
 ですから復古や、保守ではなくて、新自由主義的な在り方を資本が完結するための国家像とはどういうものなのかを提示してみせた、そういう案が自民党の日本国憲法改正草案だというふうに言っておく必要があります。

9条2項を削除するのは何のためか

 9条2項を削除するのは何のためかというと、グローバル資本主義の大企業が基本的に根っ子を張っているのはアメリカですよね。だから、アメリカという国家がグローバル資本主義の要求に基づいて、世界を軍事的に支配する。それに協力する国家体制に日本をする。つまり、アメリカのために日本人の血を流すという、そういう国家体制ということです。アメリカのために、ということを見えなくさせるためには、天皇が不可欠なのです。
 ですから9条がどうなるか。皆さんのお手元には、資料として自由民主党の「日本国憲法改正草案」の抜粋があると思いますが、9条はまず「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない」となっていますが、第1項は残したから9条は守った、これは大嘘です。
 日本国憲法9条の要は、先ほどいったように第2項にあるんです。9条1項は、いろんなところで言っていますが、国連憲章と同じなんです。国権の発動たる戦争は、第一次世界大戦が終わった後、国際連盟が作られて、アメリカとフランスがパリ不戦条約を結び、日本の外交官・幣原喜重郎が国際連盟の常任理事国を代表して、国際連盟加盟国に「ここに入りましょう」と言って批准をさせていったのです。パリ不戦条約の中にも、国権の発動たる戦争はやってはいけないってことになっていたんです。
 だから、日本の関東軍が戦争やり始めた時に日本の政府は、「あれは戦争ではありません。あれは満州事変です、事が変わっただけです」と言い、上海に飛び火したのは「上海事変です」と言い、中国全土に広がっても「日華事変です」「支那事変です」「事が変わっただけです」と言っていたのです。
 これはもう、第一次世界大戦の後、世界の共通認識となっていた。国際法上、国権の発動に対してそれをやっちゃいけなかった。それに違反して日独伊がやり始めたから、しょうがないから、といって連合国が出てきたということになります。
 で、5千万人の犠牲者を出したので、もう二度と武力による威嚇も、武力行使もしない、先制攻撃はしないということが連合国の合意事項になりました。ですから全世界の軍隊を持っている国はすべて自衛軍なんですね。そして、その自衛軍の自衛の仕方には集団的自衛権と個別的自衛権がある。まさに安倍政権が集団的自衛権の行使に踏み切ろうとしているというのは、そこの問題です。
 ですから、これ(第1項)が残っているっていうことは、何の意味もないと言っていいのです。アメリカだって同じ体制の中にいるのです。
 次の2項で、わざわざ「前項の規定は自衛権の発動を妨げるものではない」ということは、日本軍も集団的・個別的自衛権を行使する。日米安全保障条約体制の下で、アメリカの命令によって、日本人の命を戦争で使う体制に入る、ということなんです。
 9条の二は、「我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する」。国防軍は「国及び国民の安全を確保するため」と、一応ここでは言われているんです。でも国防軍の任務は、これにとどまるわけではないのです。
 二の2を見てください。「国防軍は、前項の規定による任務を遂行する際は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する」
 二の3は、「国防軍は、第一項に規定する任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは、自由を守るための活動を行うことができる」
 ここでいう「国際的」「国際社会」という言葉は、日米安全保障条約のキーワードなのです。日米安全保障条約の中の「国際社会」と「国際的」は、日米関係の二国間問題です。この言葉は、日米安全保障条約と対応しているのです。だから、この第3項によって日米安保条約に基づいて日本はアメリカの言いなりの軍事行動をします、ということが明確に宣言されているんです。
 そしてさらに、この「国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は、国防軍の機密に関する罪を犯した場合」、機密保護法がこれと連動してやってくる。
 でもこれは、日本国内のことだけでなくて、日米安全保障条約下のものなんだ、ということです。そして「国防軍に審判所を置く」。
 これを大日本国憲法下における日本軍と同じ保守であり、復古だって言っちゃたら大きな間違いなんです。アメリカのためだけに命を投げ出す軍隊に自衛隊をしてしまう。アメリカから、あそこに行けと言われたら、何も文句が言えないという超属国ですね。
 今、世界中のどこを見ても──でも、本当はNATO軍だってそのようにさせられてきたわけです。だから、NATO軍の中で財政基盤がぶつかったところ、それからアメリカの言いなりにほいほい出してしまったところが、EUの中で軍事費を使いすぎて財政赤字になって潰されているわけです。なんでEU、ヨーロッパが財政赤字に陥ったのかというと、アメリカの政策に加担しつづけてきたからです。
 そして、さらにアメリカのグローバリゼーションの中で、まさにグローバル企業に国が乗っ取られているわけです。典型的なのがイタリアじゃないですか。全部ベルルスコーニのものでしょう、あれ。マスメディアも銀行も。集会だって「ベルルスコーニ復活!」、でも全員がバイト料を貰っていた。つまり、政治とか投票まで、すべて金で買っちゃうということになっています。これがグローバリゼーションのなれの果てなんですよ。
 明確に私たちは、胸を張って言いましょう。9条こそが日本の国益を守ってきて、ヨーロッパのような惨憺たる状況にしていないのです。その9条を変えるのか、しかも96条という騙しダネを使って。この問題また最後に、またお話しますが。

国防義務が国民に課せられ、とことんアメリカ言いなりの国に

 ですから自民党の9条改悪のラインというのは、国防軍が作られる、というところだけに目が行くと、全体の構想がどれだけ対米従属的で、屈辱的な超植民地的な在り方なのかということが見えなくなるんです。ここを明確にして、全体として自民党がやろうとしていること、つまり改正9条の1項から5項までを見る必要がある。
 9条の三もあるんです。「国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない」という国防義務が国民に課せられている。これは、まさに国防軍の任務と連動するわけですから、主権の独立とか言いながら、とことんアメリカのアジア情勢における、もっとも使い勝手のいい軍隊として使われ続けていくということになります。
 明らかに国民主権に基づく立憲国家から決別してしまって、アメリカ言いなりの、権力者によって国民があらゆるところから統治される──つまり日米安保条約のために機密を守れ、違反したら軍法会議にかける。そして「領土保全」という名目でアメリカの戦争に加担する、「国際的」という言葉で日米安保体制と連動しながらアメリカのために常に日本人の血を流させていく、軍事行動できる国家体制にしていく、という宣言なんだということです。

「緊急事態」で戦争体制と国民弾圧

 そして、戦争体制になるということは、「緊急事態」ということになります。3・11の結果、国として緊急事態に対応がないという声が国民から出てきたことに乗っかる形で、緊急事態の宣言がどうできるかということが、第九章です。これも資料に出しておきましたので、ご覧になってください。
 まず98条の1は、「内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃」、これが9条と連動するわけです。次に「内乱等により社会秩序の混乱」です。「国内における内乱、国内における反政府活動」、これが2番目です。明らかに、アメリカに追随し、アメリカいいなりの、アメリカの戦争のために日本の若者の血を流させるということに国民的な不満があったら、それを弾圧するための「緊急事態」です。
 3番目が、「地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態」とある。戦争と内乱鎮圧というのが98条のメインなのです。それを正当化するために「地震等」が付いている。こういう構造です。
 そして、「緊急事態の宣言は、法律の定めるところにより事前又は事後に国会の承諾を得なければならない」。事前又は事後って、意味ないでしょう。又はで並ぶのかよ、事前事後って。ここには文民統治という発想が一切削られているということです。
 そして内閣総理大臣は、独裁的な権力者となります。「内閣総理大臣は、前項の場合において不承認の議決があったとき、国会が緊急事態の宣言を解除すべき旨を議決したとき、又は事態の推移により当該宣言を継続する必要がないと認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、当該宣言を速やかに解除しなければならない」
 全部内閣総理大臣の判断です。明らかに内閣総理大臣は軍事的な独裁者になり得る、ということです。つまり強制権力がある。立法権や司法権に対して圧倒的に。国防軍と結びつき、その背後にはアメリカがいるわけですから、アメリカの指図で内閣総理大臣が独裁的な国家運営をしてもかまわないという最高法体系です。
 繰り返しいいますが、この自由民主党日本国憲法改正案の背後には、べったりと日米安全保障条約がくっついている。そのことを私たちはどう判断するのか、という問題がもっとも深刻に問われていると思います。

「緊急事態の宣言の効果」で、総理大臣に天皇を上回る権力が

 その上で、さらに「緊急事態の宣言の効果」というのが99条です。つまり、内閣総理大臣が独裁権を行政府のみならず、立法府さえ押さえて独裁権を持ち得る「緊急事態の宣言の効果」というのが99条の1です。
 「緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる」
 「法律の同一の効力を有する政令」とは何かというと、大日本国憲法の下にあった勅令と同じなのです。天皇を元首として持ち出し、天皇に関して敬意を表していうようでありながら、そうではなくて行政の長としての内閣総理大臣が天皇を上回る権力を獲得するという憲法草案なのです。これほど不敬なことはないでしょう。私は大きな声で言いませんが、もし天皇を愛する人であれば、大きな声で言わなければいけない。でも、これはまさに小泉政権がやろうとしていたことです。それを条文化して入れちゃっている。
 だから、この内閣総理大臣がすべての権力を集中する、ということを見せないための天皇の位置なんです。この関係をしっかりと私たちは押さえておく必要があります。
 さらに99条3項は、「緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなくてはならない。この場合においても、第十四条、第十八条、第十九条、第二十一条その他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない」というふうに言っているのですが、人権に対する14条から18条、19条、21条は全部大幅に改悪されるのです。この関連性も私たちとしては、しっかりおさえておく必要があります。
 基本的人権を全面的に削除し、「公益及び公の秩序」を最優先するというふうになっているわけです。

基本的人権よりも「公益と公の秩序」が最優先される

 まず第14条、現行の憲法では「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」
 これに対して自民党改憲案の第14条は、「全て国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、障害の有無、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」
 この14条はそんなに変わってないですね。大幅に変えられるのはどこかというと、その前の第13条です。13条が変えられることによって、一見変わってない国民が全部変わっちゃうんですよ。どういうふうに変えられるのか。
 現行の13条は、「すべて国民は、個人として尊重される」。この「個人」こそが国民のベースになっている、まさにインディビジュアルな人民一人ひとりなのです。この一人ひとりにおいて人権というものがあるのだというのが、フランスにおける人権宣言以降の立憲主義における、一人の人間の規定の大本にある思想なのです。「個人」というのは、イギリスやフランスの憲法体系と相互に翻訳可能な言葉なのです。
 けれども自民党憲法改正草案の13条は、「全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序の反しない限り」、つまり「公益と公の秩序」が最優先されるということです。「個人」ではなく、「人」なんです。いったい「人」という概念をどう訳すのか。
 つまり「個人」を「人」と置くことによって、ずっと人類の歴史の中で、とりわけヨーロッパの絶対王権と議会や、そういう勢力とか政治的な闘争のプロセスの中で積み重ねられてきた、最終的に一人ひとりの個人に人権があるのだからという形で近代の法体系、立憲主義的な法体系が整備されてきたわけですが、これをとことん潰すために「個人」を「人」にしてしまう。
 憲法の擁護体制から、日本における一人ひとりの国民の在り方を完全に切り離すということです。切り離してしまえば、国家の遂行する戦争における「公益と公の秩序」が最も尊重されることになる。ですから、この「個人」というものを、主権者である国民の在り方から全部なくしてしまうというところに大きな狙いがあります。

「何人も社会的又は経済的関係において身体を拘束されない」が……

 では、18条はどう変えられるのか。現行の18条は、「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない」とあります。
 まさに軍隊における上官から命令された人殺しというのは、あるいは軍隊における訓練というのは、奴隷的な拘束の典型例です。さらに「その意に反する苦役」、これがまさに国軍における国の命令によって自らの命を投げ出して人を殺す、というこの行為ですね。
 自民党案のQ&Aというのを読んでいただくと、なぜ徴兵制の問題を入れなかったのかという言い訳が入っています。それはどうしてかというと、徴兵制の問題を入れると、軍を持つドイツみたいに、良心にもとづく徴兵の拒否を認めなくてはいけない。それは面倒くさい。つまり良心に基づく徴兵を逃れる権利、徴兵を忌避する権利を認めた時に、個人の良心の人権性の問題に触れなきゃいけませんから。それは言いたくなかった、と素直にQ&Aでは告白しています。
 ですから自民党の改悪案の中で18条はどうなるかというと、「何人も、その意に反すると否とにかかわらず、社会的又は経済的関係において身体を拘束されない」というんです。社会的経済的関係です。社会的経済的関係以外のその他の関係とはどういうことか。軍事的な関係ですよね。その場合には、つまり軍事的な関係というのは、社会的経済的関係は執行停止になるでしょう、戦争というのは。通常の社会も回していくこと自体、経済を回していくこと自体、執行停止になるわけです。
 まさにこの18条で、戦争状態になったらどんなことをしてもかまわないという、軍の暴走というのが、きちっと規定されているわけです。
 ですから、個別の条文を取り出して、そこだけを問題にすると間違います。自民党の憲法改正草案の9条に基づく日米安保条約の「国際関係」と「国際的」、つまりアメリカとの関係において戦争をするんだということを明確に位置づけた上で、他の条文の改悪がそれを可能にする上でどう機能していくのかという連関関係で捉えていく必要があるということです。
 これは今日の90分間の話では全部は語れないわけですから、ぜひ、この条文とこの条文はどう繋がるのかという学習会を、それぞれの九条の会でやっていただければというふうに思います。

国家が「思想及び良心の自由は、保障する」!?──まさに逆転の明確な証拠

 先ほど自民党案が挙げていた19条、21条というのも見ていきますと、現在の19条は「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」。非常に明確ですね。しかしこれが自民党案の19条では、「思想及び良心の自由は、保障する」。
 いいですか、憲法というのは、主権者である国民が、国家権力──立法権を持っている国会、行政権を持っている内閣をはじめとする官庁、そして司法権を持っている裁判所。私たちが三権と言っている三つの権力。立法権、行政権、司法権を、何の力も持たない私たち国民が縛る最高法規なのです。憲法が相手にしているのは国家権力です。だから現在の19条は、「これを侵してはならない」と国家権力に命令しているのです。私たちが国家権力に命令しているわけです。
 それを国家が「保障する」と言う。なんで国家権力が偉そうに保障するのだ。ここにまさに逆転の明確な証拠があるのです。思想信条の自由というのは、国家が保障するものではないのです。
 そして19条の2には、こう書いています。「何人も、個人に関する情報を不当に取得し、保有し又は利用してはならない」と。個人情報を保護していますよ、という見せかけの中で、個人の思想信条は国によって保障する。だから逆に言えば、国の考えによってどうにでもできるという、そういう話です。国が侵してはならないという禁じ手は、全部潰されてしまう。
 そして、当然のことながら、戦争をする国家になっていくわけですから、戦争をして死んだ者たちをどうするのか。その時に、祈る人としての天皇の存在が不可欠になってきますね。冒頭近くで申し上げた3・11の後、「新しい歴史教科書をつくる会」系の人たちが、平成天皇明仁が祈る宗教的な存在として姿を現したことを寿いだのは、まさにそこにあります。
 参議院選挙を前にして、どれだけアジアから反発をくらおうとも、安倍政権は靖国参拝を決行しました。この靖国神社というものが、戦後日本の中において、天皇制との係りにおいて、どういう役割を果たしたのか、ということの問題ですね。ここも非常に意識的に押さえているということです。
 詳細は、私の同僚である哲学者の高橋哲哉さんの『靖国問題』という新書版(ちくま新書)に書いてあります。3時間ぐらいで読めますので、ぜひ読んでいただきたい。高橋哲哉さんの本には、『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書)という新書もあります。靖国問題と福島、沖縄というのは犠牲の構造ですね。それは連動しているというふうに考えます。ですから、この本についてもお読みいただければと思います。

戦後日本を支配してきた大きな精神的な支え──靖国体制は不可欠だった

 今日、私のお話の前半で申し上げた、つまり安倍晋三政権によるこの憲法改悪と、その前提となる自民党憲法改正草案というのは、アメリカに追随する、とことん新自由主義を資本の言いなりに追い詰めていった時に、その資本が要求する戦争をアメリカが遂行するわけですから、それをアジアにおいて日本が協力する、そういう体制を仕上げていくための国家像がこの憲法案にはあって、そして戦後の日本の矛盾というものを一切決別してしまおうというときの要に、9条を昭和天皇裕仁が朕の名において言わなければ東京裁判にかけられて戦争責任を追及された、という問題と実はリンクしているのです。
 なぜマッカーサーは、昭和天皇裕仁を残そうとしたのか。国内でも天皇退位論があった。それはまさに、1960年代に駐日大使をずっとやったライシャワーをはじめとする若手の日本研究者たちが、すでに日本と戦争を始めた直後、1942年の段階で大統領に直接、戦争が終わった段階で天皇を──真珠湾攻撃は天皇の名においてやったのです、宣戦布告は天皇がやるわけだから。大統領はそれに怒り狂っているわけですよ。そこに行って日本研究者たちは、「天皇は絶対に裁いちゃだめですよ」「天皇をどうこうするようなことになったら、百万人の軍隊が死ぬでしょう」ということまで言ったわけです。だからマッカーサーは、どんなことをしても天皇を残さなくてはいけない、と考えたわけです。
 で、天皇を残すために、昭和天皇裕仁に9条を言わせたのです、1946年11月3日に。そして無血革命で、主権が天皇から国民に、誰もそんなことは両方とも意識してなかったのだけど、一応6ヶ月で革命をやったということになっている。ヨーロッパにおいては直接、王侯貴族を武器を持って立ち上がった市民が殺しているわけです。みんなギロチンにかけた。そうやって土地の私有化をしたわけです。そういうことを一切やらずに、無血革命を6ヶ月で遂行したのが1946年11月3日から1947年5月3日にかけてなのです。
 なぜそういうことができて、天皇を救えたのか。それは、東京裁判では間違った戦争だというふうに確実に裁かれるが、その戦争で死んだお父さんやお兄さんや夫は、靖国の英霊として奉られます。英霊になった人たちがやったことが間違いだったかどうかということは考えてはいけないという戦後体制を作るうえで、靖国体制は不可欠だったのです。
 昭和天皇裕仁は、9月27日にマッカーサーのところに会いに行きます。そして、あの写真を撮られるわけです。昭和天皇は直立不動、マッカーサーはこれ(両手を腰に)で、身長差がここまであって。「日本人は12歳の子どもだ」とマッカーサーが口走るわけですが、それがまさにマッカーサーと天皇の間で見えてしまうのがあの写真でした。一旦大きく報道されたのですが、あまりにやばすぎたので回収したんだけど流出しちゃった、という「みんなが知っているあの写真」。
 「みんなが知っているあの写真」の背後で、昭和天皇裕仁はどういう交渉をするかというと、戦争を終えた、自分の責任において。ポツダム宣言を受諾した、自分の政府が。そのことを天照大御神を祭っている伊勢神宮から全部回って、そしてやがて自分の祖父である明治天皇と、父である大正天皇のお墓まで行って先祖に報告したい。だから自分の親類縁者のお墓参りをするということをマッカーサーに頼んで、いいですかと訊いて、いいだろう、となって、そうやって伊勢神宮へ。
 これが昭和天皇の戦後行幸のはじまりです。宗教施設、つまり国家神道施設を全部回るんです。1945年の秋ですから、マッカーサーの神道指令はまだ出ていない。マッカーサーの神道指令が出てきたのは1945年の12月で、これに基づいて翌1946年の1月1日にいわゆる「人間宣言」をしたというふうに言われています。でも人間宣言なんて全然していないのですよ、昭和天皇裕仁は。
 天皇裕仁が何を言ったかというと、これも『天皇の玉音放送』に書いてありますが、明治天皇が天皇神聖を行う上で根拠にした五箇条の御誓文をもう一度引用して、明治天皇になりきって、こういう形で日本の民主主義をずっと貫いてきたんだ、と居直ったのですよ。それが「人間宣言」です。
 けれども、もう一回繰り返しますが、まだ天皇は神様なのです。1945年秋でも。その時に、皇祖皇宗(こうそこうそう)のお参りをし、その延長線上で靖国神社の「秋の例大祭」の翌日、靖国神社に参拝をしたわけです。個人で参拝したということです。
 天皇の大日本国帝国憲法第一章に基づく統治統帥、国家主権者としての位置である統治権。これはマッカーサーに奪われています。連合国に占領されているわけですから、これはありません。それから軍の統帥権も陸海空はなくなって、やがて12月3日に解散命令が出るわけですから、これもなくなる運命にある。統帥権も奪われている。敗北して占領されているわけですから。でも、靖国祭祀権だけは残っているんですよ。
 明治維新以降、天皇のために命を落とした者たちを英霊にして、神にして祭るという、かつては長州藩にあった招魂──魂を招くという儀式を国家儀礼として、天皇のために命を失った者をそのようにする、というふうにして招魂社と名付けられたのが、靖国神社です。
 そして天皇のために、ずっと遡って一番がんばって命を張ったのは誰かというのは、探してみてもあまりいないわけです。だいだい命を張ったのは、武士ですから。でも武士は鎌倉幕府から自分の政権を持っていますから。天皇制の考え方からいくと、家来が勝手に政権を持っているのは間違いですよね。家来が統帥権を持っていますから。だから武家政治というのは認められない。これが軍人勅諭の基本的な考えです。天皇のために命投げ出した、最初の偉い奴というのは楠木正成くらいしかいないのです。だから、明治政府が楠木正成を祭った湊川神社を別格官幣社にし、そのあと、それに連動させて靖国神社を別格官幣社にして、そこに祭られている人たちは神々なんだということにしたのです。
 「秋の例大祭」というのがいつ作られたかというと、これは日露戦争、日本が日英同盟を結んで、初めて欧米列強の中心である大英帝国のお墨付きで宣戦布告をすることを認められて行った戦争で、ポーツマス講和条約を結んだのも──国民は反対しましたけれども──9月でした。だから、春の例大祭だけだと日露戦争で死んだ死者たちを全部祭ることができないから、ポーツマス講和条約を結んで直ちに日露戦争の戦死者をみんな英霊にしてしまいましょう、ということで「秋の例大祭」が設けられたんです。これが11月です。
 その「秋の例大祭」の翌日、昭和天皇裕仁は靖国神社に行って、これで15年戦争の最後の段階の太平洋戦争で死んだ全ての死者たちが、英霊になった。このことによって昭和天皇裕仁は、全ての戦争犠牲者の、天皇制を支持している戦争犠牲者の遺族を味方につけることができたのです。
 これがまさに、戦後日本を支配している大きな精神的な支えです。靖国神社に祭られた以上、私のお父さんやお爺さんや夫や兄や弟は悪いことをしているわけではない。この靖国神社と、かつての侵略戦争を美化したいという信条は、連動しているわけです。
 ここに常に灯を供給していくというのが中曽根康弘や、意識的に行われている閣僚の靖国参拝です。それを今回も安倍政権は、やってのけているわけです。
 つまり侵略戦争を美化するということと、9条を変えるということと、自衛隊を海外に出す、しかもアメリカの要求で。この問題が全部一緒になって出てきたのが1990年の湾岸戦争以降。そして93年の総選挙で自民党単独政権がつぶれるまでの政治過程です。このように最大の問題になったわけです。

河野談話を一貫して撤回するように言い続けてきたのが、世襲三世議員・安倍晋三

 この1993年に自由民主党が初めて野党に転落して──それはどうしてかというと、この時の選挙で小沢一郎は羽田孜を立てて新生党を作り、鳩山由紀夫は武村正義を立てて新党さきがけを作って、自民党竹下派の若手が、リクルート事件で汚れてなかった割とクリーンな若手がみんな自民党を出て行って、ということは自民党田中派の実行部隊が自民党を出て行って、残ったのはイデオロギー政党としての福田派という構造になっちゃったのが93年です。それで小沢一郎の政界再編で、細川護煕政権が打ち立てられた。
 ですから初めて野党に転落した自民党の総裁、首相になれなかった初めての自民党総裁である河野洋平さんが、崩壊した宮沢喜一政権の官房長官だったんです。細川政権に政権を渡す直前の1993年8月4日に、従軍慰安婦問題で日本軍が関与していたという内閣官房長官談話を出したのです。
 この内閣官房長官談話が出たから、その後教科書に載るようになり、このことをめぐるせめぎ合いが「新しい歴史教科書をつくる会」をはじめとする草の根侵略戦争美化運動、こういう系譜が在特会までずっと続いているんです。
 この河野洋平談話を、議員になってから一貫して撤回するように言い続けているのが安倍晋三という政治家です。安倍晋三という政治家は、1993年の自民党が初めて野党に転落した総選挙で、世襲三世の一年生議員になったのです。
 93年段階の自由民主党がどういう状況だったかというと、自由民主党という政党は1955年にできてからずっと38年間政権与党でしたから、当然1955年に最初に議員になった人は、25歳でなったとして38年間で60数歳です。だから55年の鳩山一郎改憲選挙の時に20代で当選してないと、二世、三世の議員は生まれない。つまり93年の段階では、そういう人しか残らなかったのです。
 その時の自由民主党で何が最も怖いかというと、「あなたはなぜ政治家をやっているのですか」と問われると「お父さんが」、「お父さんはどうしてやっていたんですか」と問われると「おじいちゃんが」、おじいちゃんの話をすると安倍晋三は、母方のお祖父さんは岸信介に行きつく。岸信介はA級戦犯容疑者ですよね。みんな、そういう議員なのですよ、自民党に残っているのは。岸信介の場合はA級戦犯容疑者だけども、露骨にA級戦犯みたいな人もたくさんいるわけです。

アメリカからの政権つぶしの強力な圧力

 その93年にいったい何が起こっていたかということが、もうひとつ重要です。91年の年末に、大方の予想に反してソ連が崩壊してしまいました。アメリカに対抗してソ連が核兵器を持つことで、東西核兵器の核抑止力論で対立する──つまり、向こうが打てないようにここに核を配備する。向こうが配備すれば、こっちも配備するという、そういう核抑止力論で東西冷戦がずっと続いていた。
 最初、核兵器はアメリカとソ連しか持っていなかった。1949年にちょうど中華人民共和国ができた時に、ソ連が核保有するわけですから。その後、中華人民共和国が核保有しようとした1963年に、部分的核実験禁止条約というのをアメリカとソ連が結んで新興国に、いや同じ国連安全保障理事会の常任理事国ですが、そこには持たせないと。でも持っちゃったんです、5カ国が。アメリカ、イギリス、中国、フランス、旧ソ連。この5カ国だけが核兵器を保有して良いというのが、核不拡散条約(NPT)という不平等条約です。
 でもソ連が崩壊しちゃうと、ソ連の持っていた核施設がウクライナやベラルーシにある場合、これは全部、核拡散しているということになります。ソ連を受け継いだのは、ロシアだけですから。
 ソ連が崩壊するだけで、ヨーロッパとアジアにも核拡散状態が生れて、ソ連が北朝鮮で開発していた核施設もアメリカは核拡散状態だから査察を受けろと言って、圧倒的な圧力をかけてきていたのが、ちょうど細川政権の時代です。
 細川政権の与党には日本社会党も入っていました。北朝鮮の核拡散の問題で第二次朝鮮戦争勃発か、というところまでアメリカは危機を高めていった。だけども韓国の場合、金泳三政権でしたから、アメリカの軍事的なやり方には賛同しない、協力しないということを明確にしましたので、日本から戦争をしかけるしかない、というのが93年の年末から94年にかけてです。
 だから細川政権を潰さないと、日本社会党は出せないわけです。ですから何をやったからというと、一応佐川急便事件は、検察特捜が準備していたわけです。でも佐川急便事件では落とせない。何か決定的な失策をやらせなければいけない、というところで、小沢一郎がアメリカの命令で細川政権をつぶすために仕掛けたのが、大蔵官僚である斉藤次郎に絶対実現不可能な、国民の福祉だけに使う増税、国民福祉税というのを深夜の国会で記者会見させて、やろうとして、見事に破たんさせるわけです。
 これと佐川急便事件が結びついて──だから細川護煕というのは、最も怖いアメリカからの政権つぶしの圧力を見てしまった政治家だから、間もなく辞めたんです。
 お分かりでしょう。この斉藤次郎のこの時の功労に恩賞を与えるために、民主党が政権を取った時に 連立で入っていた亀井静香が、小沢一郎さんの思いを汲んで、斉藤次郎を郵政の社長にして、民営化したけど郵政株は売らない、ということでやってきたのです。その斉藤次郎を辞めさせて、社長の首をすげ替えて、そして郵政株売り出したから株が値上がりしているんです、今。
 何が「アベノミクス」ですか。全部、「アベノミス」ですよ。そうでしょう、日銀が売りに出した国債を7割買うという方針を出した4月4日。ちゃんと考えろよ、と言いたい。日本の市場とアメリカの市場とは時間差があるんですよ。日本の市場で取引できない時、アメリカの市場で取引できるわけでしょう。だから何が起こったかというと、4月5日の午前中に日銀が国債を買う前に、全部ヘッジファンドに買われちゃったんです。で、午後にヘッジファンドが売り出して、一気に値上がりです。長期金利も上がっちゃったわけです。全部逆効果。黒田辞めろ、という話ですよ。
 でも、そういうことはちゃんと報道されずに、株価が上がっているからいいじゃないか、と内閣支持率はうなぎ昇り。そうじゃありません?
 今、日本が安全だと言われていたのは、国民の預金が国内にあるからです。まさに国民の資産と預金が国外に株という形でどんどん流失しているというのが現在です。だから、一気にヨーロッパと同じ財政破たんに向かう、いま前段階に入っていると考えた方がいいじゃないですか。
 今、斉藤次郎でいきなり現在の経済の話に行っちゃいましたが、その斉藤次郎に細川政権を潰させて、そして社会党と新党さきがけが抜けますから、少数与党になった。
 でもこの時に米朝国交回復を実現したジミー・カーター元大統領に北朝鮮に飛んで、金日成と会って、やめなさい、査察を受けなさい、NPT条約に戻りなさい、2003年になったらアメリカが原発をあげるから、それまではちゃんと重油あげるから、という米朝枠組合意というのをやって、これで大丈夫というふうになりましたから、自民党の総裁・河野洋平さんは、日本社会党が政権に戻っても大丈夫だろうと考えるのは当然ですね。
 だから、私は初めて首相にならない自民党総裁でいいから、ずっと首相になりたかった日本社会党の委員長の村山富市さんに声かけて、やりましょうとなって、2ヶ月で羽田孜政権終わって、村山富市政権が6月末にできるわけです。
 その数週間後に、金日成が突然亡くなり、金正日が主席を継ごうとしたら、当時のクリントン大統領は、アメリカの大統領と同じような重要な任務に世襲でつくのかといって、一気に盛り上がって、国会で村山さん自衛隊はどうなの、日米安保条約をどうみているの、と訊かれたら、「自衛隊合憲、日米安保条約堅持」という答弁をして、そして日本社会党がなくなってしまうんです。
 この時に60年安保で作った日本社会党、日本共産党、それを総評が繋ぐという「社共総評ブロック」という護憲の体制が完全に潰されたのです。総評は、89年に連合に入ってなくなった。
 そのあとは市民運動で闘うしかない状況でやってきて、九条の会を作って一旦押し返したんだけど、民主党政権になってみんな安心して、安心しているうちに安倍政権が第2次安倍政権になって、どうなの、というところにいま来ている。
 どうなのというと、まさに日米安保条約体制に戻す、90年代アメリカがずっと要求してきたアジアの戦争を日本の自衛隊が担う、日本の国防軍が担う、そういう状態にきている。ですから、ここに改めて草の根からの運動で押し返すことができるのかというのが、私たち九条の会には問われているということです。

96条は、主権者である国民が権力をしばる装置、憲法の命そのもの

 重要なことは、自民党はそもそも改憲ということで自らの正当性と言ってきましたから、前文から全部変えなきゃいけないというのが建前だったのに、日本維新の会をはじめとして96条をまず変えよう、3分の2はあまりにも高すぎる、過半数にして憲法を国民のものにしよう、という騙し撃ちが出てきました。でも皆さん、これは国会議員が言っているのです。
 憲法というのは権力を縛るわけですから。なんで3分の2以上の衆参両院の賛成がなければ駄目かというと、立法権をもっている国会議員にしょっちゅう憲法を恣意的に変えさせてはいけないというために、3分の2があるわけです。
 憲法学者の多くの人たちは、9条はただの条文です。でも96条は、主権者である国民が権力をしばる装置であり、変えてはいけない、憲法の命そのものだと言う人もいます。つまり、9条よりもずっと重いと。
 その96条を、おいそれと変える方向で、大したことないのだからと言っているあの国会議員たちは、立法権を暴走させようとする権力の走狗である、と私たちは主張する必要があると思うんです。96条を変えたら良いという人は、国民主権を投げ捨てる、国会議員の暴走に加担する人たちに過ぎないということが、もっとも重要な今の論点だと思います。
 だがしかし、そのような議論はマスメディアの中ではほとんど消されています。今日の私の講演を載せるのはいいですが、それがどのくらい効果を持つのか分かりません。大事なことは、草の根の具体的な運動の中で、どれくらい党派を超えた、そして精神論の違う人たちが声を掛け合うかです。
 2004年に九条の会を作り、しかし3000の時には2005年の小泉選挙に騙されたわけです。4800になったけど第一次安倍政権の教育基本法の改悪は阻止できなかった。けれど6000になった時、2007年の4月、民主党の小沢一郎代表が安倍晋三政権の改憲路線には協力しない、という方針を出している。
 国民投票法案を議論していた衆議院の特別委員会の枝野幸男を降ろした。そして枝野は、この日から反小沢になったと言われています。
 そして民主党自体の政策を「国民の生活が第一」──この政党はなくなりましたが──に変えて、2007年の参議院選挙で民主党はじめとする野党が勝利した。
 この時小沢一郎氏は、安倍政権がインド洋で続けているテロ対策特措法に基づくアメリカ軍の船への給油を憲法違反だと言ったのです。小沢一郎という政治家の口から「憲法違反だ」という言葉が出てくるとは夢にも思いませんでしたが、夢が現実化していたのが2007年です。
 この年の4月、読売新聞の世論調査は、「憲法を変えた方が良い」と「変えない方が良い」が拮抗していると言い、そして2008年4月の憲法世論調査では、「憲法変えない方が良い」という人が15年ぶりに多数派になったと報道されました。
 つまり私たちは、草の根から九条の会を作ることで、声をかけあう、そういう民主主義的な討論を通して世論を変えたわけです。でもね、映画人九条の会のように非常に濃密に会合をやられている会もあります。でも参加者は・・・。それがいけないと言っているわけではないのです。けれども、今まで会ったことのないような人たちが声をかけあって九条の会を作る、ここに民主主義の大きなうねりの力があったのです。
 でも、できちゃったことは周年行事になるのです。一年間この人たちは討論しないんです。もちろん9の日行動とかをやっているところはあります。でもそれは全体の中でそんなに多くはない、活発に活動しているところは。
 ですからいま改めて、あの2004年から2008年にかけて、全国で6000の九条の会を一気に作り上げていった、そういう私たちの草の根のからの対話をどれだけやっていくことができるのか、そこに私は勝負がかかっていると思っています。一緒にがんばっていきましょう。ありがとうございました。(拍手)

【質疑応答】

【質問】 実は私、今回初めて参加するのですが、今日先生のお話を聞いて、憲法改正が何をはらんでいるのか初めて知って大変驚いています。そういう人間が発言すること自体おこがましいのですが、基本的なことをお尋ねしたいと思います。
 小森先生のお話を伺うと、この憲法改正は国民から主権を取り上げて、政治家が自由に振る舞えるような環境を作って、一国の総理が彼の利益に絡むやり方で国を支配することを許さんがための改正とも聞こえます。しかし、そんなことがいま許されるのか、許されないのか、という問題です。
 これはかなり歴史的、制度的な問題だと思いますが、自民党や安倍晋三がなぜ国民を縛り上げて苦しめて、結局国力は消耗して、あの惨めな敗戦の道を再び歩もうとするのか。戦後の日本の高度成長は、国民を自由に放ったことによって国民が努力し、それによって国力が蓄えられ、それが国民に回ったからあの成長があったわけですよね。それを蔑にして、元に戻して、国民を締め上げて貧しい生活に押し込めて、それで政治権力者は一体何の利益を得るのか。そんなことを安倍晋三が考えるわけがない、というふうに私ら市民には見えるわけです。
 で、この憲法改正案はいったい誰が作ったのか。実は、日本に憲法を押し付けたアメリカが、あれは間違っていたと、もう一回日本をかつてのように貧しくて何もできない国に戻したい、自分たちがいつでもひねり潰せる国に戻したいというアメリカ側の意思があったのかともと思えてくるのですが、そんな馬鹿な、という常識論が私の中ではどうしても消せません。

【小森陽一】 一番大切なところをご質問いただきましてありがとうございます。まさに、アメリカなのです。先ほど申し上げた93年の細川政権で小選挙区制が導入されるまでに至る湾岸戦争からの3年間の政治改革に、はっきりと刻まれているのです。
 今から20年前位のことを思い出してください。1990年にイラクがクウェートに軍事進攻しました。これは、国連憲章第2章違反です。直ちに国連安全保障理事会が開かれました。それまでであれば、アメリカとソ連が対立して どちらかが拒否権を発動して国連安保理が決議を上げないということで済んできました。けれども89年にベルリンの壁が崩れて、ヨーロッパでは東西冷戦は終わったのです。世界は一つという気運が盛り上がっていました。こういう時期だったのですね、イラクがクウェートに侵攻したのは。
 国連安全保障理事会が開かれて、イラクに対する軍事行動を含めた経済制裁を行うということが決まったのが、1990年の11月です。
 この時日本は、海部俊樹政権です。40代の小沢一郎が自民党幹事長として、お目付け役として入っていました。田中派はどうしたのかというと1989年、小沢一郎の政治の師匠と言われた竹下登政権が、リクルート事件で崩壊しました。
 今、リクルートという会社がなければ、日本人の誰も就職できないんですが、まさにそのリクルートの未公開株を自民党の主力の政治家に売りつけておいて、一部上場してボロ儲けしたという、まさに政治とカネの問題が暴露されて、自民党のカネに黒い田中派の政治は許さないということになりました。
 この時に、政治とカネの問題がいけないのだ、企業献金をやめればいいじゃないか、という話になるはずが──田中角栄というのは、一代で政治家になった人です。まさにカネの力です、バラ撒きです。けれども、それと対立していた福田派、これは世襲で議員になっている人たちです。イデオロギー政党です。この人たちからすれば、田中派が憎たらしかったのです。福田派にこそ小選挙区制は生命線なのです。楽なのですよ。だから、何を言い始めたかというと、選挙制度が中選挙区制だからみんなカネに汚くなる。ビラもたくさん撒かなきゃいけないし、宣伝カーも燃料費もかかる。中選挙区制を小選挙区制にすれば、カネがからなくなるから、政治がきれいになる。政治改革、小選挙区制の実現だ。
 これにかなりの政治学者も加担して、小選挙区制になると政権交代も起こる、政治腐敗はずっと自民党でやってきたからだ、そういう永続的な自民党政権じゃないシステムを、ということを言い出して、政治改革イコール小選挙区制導入という図式ができていたのも1992年なのです。
 その時の海部俊樹政権に、アメリカからイラクに対して軍事行動を仕掛けるPKF──国連平和維持部隊と呼んでいましたが、ここに自衛隊を出せという圧力がかかってきたのが90年の11月でした。
 歴代の自民党の内閣は、憲法9条解釈として、自衛隊は陸海空軍その他の戦力ではありません、というので成り立っているわけです。つまり、アメリカの日米安保条約で再軍備を警察予備隊で押し付けられて、さらに旧日米安保条約で再軍備をしろというのが51年に入った。これに基づいて海軍力を持つ、陸海軍2軍の力を持つ「保安隊」になったのが52年ですね。空軍力も持ちなさいとアメリカが言って、陸海空軍3軍を持ち、防衛庁という省庁まで作る。これが1954年の自衛隊と防衛庁の創設になるのです。
 作った組織が憲法に違反しているわけですから、憲法9条を変えなきゃいけない。そのために3分の2以上がいるからということで、別々の保守政党であった自由党と民主党を合体して鳩山一郎初代総裁の下で自由民主党という政党を作って、3分の2を取って9条を変えるという選挙をやったのです。だから自由民主党というのは、まさに結党の時から改憲政党なんです。自衛隊のために憲法9条を変えると。でも、3分の2を取れなかったのです。
 第一次鳩山政権が成立した瞬間に、内閣で使う憲法を守らなくてはいけないと、その瞬間から自由民主党政権は、自衛隊は憲法9条に合致しています、陸海空軍その他の戦力ではございません、自衛のための最低限の実力です、という説明を始めたんです。
 これは、あくまでも日本国内の内閣の憲法解釈なのです。だから外に出ないだけでそう言っていても政権が自民党だったらいいよ、とアメリカも許してきたんです。だから、アメリカの基地を使い勝手が良いようにと60年安保の時に日米安保条約を改正して、第2条を入れるわけです。
 経済問題でお互いに食い違いがあったら、日本がアメリカの言うことをきかないといけないという、この日米安保条約の第2条問題というのが、まさに日本がアメリカの植民地になっていくということなのです。
 高度経済成長に日本が入っていった時に、アメリカから様々な要求が来たんだけれども、日本が高度経済成長を続けていて、しかも田中派が内閣を取っていたから、それは聞かなくて良いということでやっていたのです。
 で、その一番劇的なのが、ベトナム戦争をやっていた時にアメリカの顔を立てないといけない。でも台湾なんかよりも中国とやった方がいいなあ、アメリカはもうベトナム戦争には勝てない、借金も大変だ、と思っていた1971年、ニクソンが──ダブルニクソンショックです。一つは、アメリカのドルを金に換えてくれと言ったら本当はアメリカは換えなきゃいけなかったのだけど、借金が多すぎて、これをやめて固定相場制から変動相場制に移行するということと、米中会談をやる。
 当時、田中角栄が総理大臣になったばっかりのときですが、アメリカが中国と会談するということは、ベトナム戦争をやめるのだな、アメリカが負けるのだなと。だったらやっちゃおうということで、アメリカが米中国交回復してないのに、1972年に日中国交回復をしちゃって、この年が沖縄返還の年です。
 去年、石原慎太郎がなぜあれだけ騒いだかというと、去年は沖縄返還40周年プラス日中国交回復40周年だからです。日中国交回復と沖縄返還はセットなのです。尖閣諸島問題は、それまでアメリカが施政権を持っていたのですから、アメリカ問題です。だから、それを時限爆弾として仕込んだ沖縄返還だったということです。その時限爆弾のスイッチを押したのが石原慎太郎だという話です。
 それは置いておいて、アメリカに先んじて日中国交回復をやってしまった田中角栄は許さないぞ、というのが76年のロッキード事件をアメリカ側から暴露する、というやつです。
 だから検察特捜の汚職暴露は、みんなアメリカのスイッチと連動していて、検察特捜は基本的にアメリカの意図で動いているということです。だから、小沢一郎もアメリカに潰されようとしていたのです。
 話を90年に戻します。歴代の自民党内閣は自衛隊を出せないでいた。つまり自衛隊は、9条に合致していますから。陸海空その他の戦力ではない、最低限の自衛のための実力です。実力というのは、日本の領海内に攻撃があった時に、領海内だけ反撃するんです。だから専守防衛です。ということは、領海の外に武器を持って出ちゃだめということで、帰結的に自衛隊の海外派遣は憲法違反ということになっていて、国会に出た法律が憲法に合致しているかどうか。当然、立法権力を憲法は縛るわけですから。これを判断するのが内閣法制局です。
 1990年、内閣法制局長が答弁をして、自民党解釈から言えば限りなく憲法違反に近いと言って、以来海部俊樹の答弁もされず、廃案になったんです。11月でしたから。
 世界中が、日本はアメリカのポチで小判鮫で、アメリカの腰巾着だと信じているわけですから、1995年の1月15日までにイラクがクゥェートから撤退しなければやるぞ、と言っていた17日に砂漠の嵐作戦が始まった時に、星条旗の隣に日の丸がはためいているとみんな信じていたのに、日本が出てきていない。世界中の人たちが、どうして、どうして、どうしてとなっちゃって、世界中のマスメディアが、日本には憲法9条があって、第2項に「前項の目的を達するために陸海空その他の戦力はこれを保持しない」とあって、あなたたちが日本軍と思っていたあの組織は軍隊ではなくて、Self Defense Forcesという組織なんです、という報道を一斉に世界中でやって、中東の人たちがむちゃくちゃ感動したわけです。
 つまり、自民党内閣の解釈でやっていた「自衛隊は陸海空その他の戦力ではない」ということは、ほとんど世界中で200人くらいしか知らなかったことだと思います。だって日本語ができて日本国憲法9条2項問題を知っていて政治学などをやっている学者は、私は当時92年、東大に移りましたけど、そんなに居ませんでした。それが世界中の普通の人、とりわけアジアの普通の人の知るところになっちゃったのです。
 これに怒りまくったアメリカが、日本に対して──海部政権は国民一人頭1万円の軍事費を出したのです。1万円×日本の人口です。いくらになりますか。なのにアメリカはお礼の一つも言わずに、「日本はカネだけ出して、血と汗は流さないのか」と言って、「Show the flag(旗を見せろ)」と言いました。その頃、日本はバブル期の最後です。
 ここからアメリカは、日米安保条第2条問題で、日本の経済を変えるという圧力を強力にかけてきた。だからこれは、小沢一郎をはじめとする自民党幹部の「湾岸戦争トラウマ」なのです。
 9条を変えろということと、自衛隊を外に出せということと、アメリカの経済構造要求──これが構造改革規制緩和なのです。構造改革規制緩和を最初に取り組んだのが細川政権です。ここからドロップアウトしたら自己責任、という言葉が最初に出てくるのも細川政権です。内閣の文書に入るのが村山政権です。現実化するのが橋本龍太郎政権の時です。
 これで日本は潰されたのです。1997年に日本の金融機関は、ほとんど全部潰れていますよ。この時、団塊の世代を切らないために、圧倒的な就職氷河期になったのがロストジェネレーション世代と言われている人たちです。だから、この人たちが団塊の世代を恨むという世代対立が仕掛けられた。年金問題が騒がれて、年金を持って行くのはこの人たちだ、ということになった。
 つまり、おっしゃる通り通常の常識からいえば信じられないのかもしれないけれども、アメリカがとことんやってきた。日本はそれに追随する政治をずっとやってきたということです。
 それを転換する運動は、もはや草の根運動からしか起こらない。政党は機能しなくなった。その政党政治への不信が爆発したのが、この前の総選挙(2012年12月)です。だからこれはもう、草の根の市民運動で押しのけるしかないわけです。
 だから2009年の政権交代選挙の時には、九条の会、草の根運動があって、その中で民主党の若手政治家が──無名のですよ──運動の中で出てきたから、いくつかの選挙区では候補者を立てないという政党も出てきたのです。その形で政権交代が可能になった。そういう運動の中から生まれてきた議員さんたちは裏切れないから、野田どじょう政権になった時に「国民の生活が第一」というグループを作って小沢一郎とともに出たんです。
 ですから、全てはそのように──アメリカの怖さを本当に知っている小沢一郎だから、アメリカの言いなりにこれ以上なってはいけないというふうに、第一次安倍政権の時に判断したわけです。それ以来、検察特捜に狙われまくっているじゃないですか。
 別に小沢一郎が良いと言っているわけではないですよ。そう価値の付け方はいけないのだけども、事態として何がどう動いているかということで言えば、まさにアメリカの超属国になって日本の富を全部売り渡すと。その最後の仕上げを、第一次安倍政権でアメリカによく思われなかった安倍晋三が実現しようとしているわけです。
 だって安倍晋三が第一次安倍政権を投げ出したのは、戦場であるアフガニスタンに自衛隊を出せとブッシュ大統領にシドニーで言われたからです。参議院選挙で負けちゃったから、衆議院で3分の2があってもこれは絶対通らないだろう、という判断ですね。
 ですから、その一つひとつの起こってきた事象を歴史的にどうきちんと位置づけるのか、ということが今ほど大事な時はない、と私は思います。すみません、長くなりました。(拍手)

【司会】 小森先生、ありがとうございました。トータル120分の大変熱のこもった講演になりました。小森先生に大きな拍手をお願いいたします。(拍手)

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