【講演録】 証言者・山田朗教授が語る

名古屋高裁イラク派兵違憲判決の意義

明治大学文学部教授・山田 朗

2008年6月13日(金)東京・文京区民センター3A・映画人九条の会での講演

 皆さん今晩は。ご紹介をいただきました山田です。今日はタイトルのとおり、名古屋高裁でのイラク派兵違憲差止訴訟、イラク派兵差止訴訟についてお話をさせていただきます。
 私は、このイラク派兵差止訴訟の証人となったのは2回目なんです。最初は2006年に札幌地裁で、当時同じように陸上自衛隊の派遣差止訴訟というのがありまして、そこで証人を1回やっています。
 このイラク派兵差止訴訟というのは、実は全国で14祖訟行われているんですね。13ヶ所、14訴訟。大阪で2つ訴訟が行われているので13ヶ所、14訴訟なんだそうです。
 おおむね地裁レベルで、だいたい判決が出ているのが多いんですけれども、訴える利益がないということで、門前払いというのが多いですね。何で訴える利益がないのかというと、これは実は「平和的生存権」というのを認めるか否かというところが随分重要なところなんだそうです。つまり日本国憲法、特に第9条をもとに平和的生存権というものがある。平和に生きる権利というものがあって、それは基本的人権の一つなんだという、この論理をどこまで認めるかどうかということです。つまり、平和的生存権が脅かされている、だからそれに対して訴え、賠償せよという、これを認めるかどうかということなんですね。
 実はこの名古屋高裁の判決というのは、この平和的生存権というのは、具体的な権利であるということを認めたという点でも、極めて画期的な判決なんです。
 私も裁判のことは詳しくありませんけれども、よく裁判をテレビなんかで見ると、何かこう「不当判決」とか出すのがありますね。あれは「旗出し」というんだそうですけれど、その旗出しというのは、要するに前もって旗を作っておかなきゃいけないわけですね。ですから弁護団は何種類か、それこそ「不当判決」から「画期的判決」まで何種類か旗を作っておいて、それで判決を読み上げている最中に、もうこれでだいたい分かった、というところで法廷から飛び出して、それで外で固唾をのんで見守っている支援者に旗を出す。
 今回名古屋高裁の場合は、その旗が間に合わなかったと言いましょうか、旗は作っていたんです。「画期的判決」というのと、「違憲判決」というのはあったんですけれど、「平和的生存権を認める」という旗を作ってなかったそうです。
 つまりそれは、予想以上だったということなんですね。そこまで認めるというふうには、ひょっとして思ってなかったのかもしれません。ただ原告弁護団はあらかじめ判決当日の声明文をいくつか、何種類かやっぱり考えていて、どんぴしゃりの声明文の案文があった。あったというところを見ると、そこまで考えていた人もいたということなんです。ですから、考えられ得るいちばん良い判決が出たと。要するに裁判をやっている側としては、最も良い判決が出たという解釈です。
 しかし、そうは言っても原告側は敗訴じゃないかと。つまり国側が勝ったんですよね。国側が勝って、賠償請求は認められなかったわけです。それなのにどうして最良なのか。実はこれは私も裁判のことが疎くて、勝たないで何で最良なんだろうと思ったんですけれど、「いや、勝っちゃうと駄目なんですよ」というふうに言われたんです。
 なぜ勝っちゃうと駄目なのかというと、高裁段階で勝っても、最高裁に行くと必ずひっくり返されちゃう、今の状況ですと。今の最高裁の状況ですと必ずひっくり返されちゃうから、この違憲判決が確定しないんだと。必ずひっくり返されちゃうから、せっかくそういう判決が出ても、それが確定しないで、逆転されてしまう。ところが今回の判決は、国が勝訴になっている。違憲ですけれど、国が勝訴なんです。
 これはあとでお話ししますけれど、国側が勝訴したので、国側はいくら文句があっても最高裁に上告できないんだそうです、勝った側ですから。勝ったから上告できない。だから非常に国側にしてみると嫌な判決なんですね。違憲判決が出てしまった、しかし上告できない、という最も国側としては困った判決である。しかもこれは上告できませんから、結局これは判決として確定してしまったわけなんですね。
 今まで自衛隊をめぐる訴訟で、違憲判決が出たという例はあることはあるんです。これはあとで述べますけれど長沼ナイキ訴訟というので、札幌地裁で一度、これは自衛隊そのものが違憲だという、これはまた根本的な判決が出たことがあるんですけれど、結局、高裁段階でひっくり返ってしまいました。ですからこれは、判決としては確定しなかったわけです。
 ところが今回の場合は、自衛隊そのものが違憲という判決ではありませんけれども、イラク派遣というのが違憲であると。それから違法だというところがまた特徴なんですね。つまり、国が定めたイラク特措法に照らしてみても違法なんだという、こういう論理なんです。

今日の講演の目的は、判決の意義と、証言のポイント、そして判決をどう生かしていくか

 私の今日のお話は三つほど目的がありまして、これは何と言いましても、タイトルそのもの、その判決の意義というものを考えるということ。
 それから、私は今年の1月31日に証言をしたんです。で、その日のうちに結審したんです。ですから私は最後の証人になったんですね、この裁判の。それは囁かれていました。ひょっとしてこの証言が終わった段階で結審、つまり裁判が、審理が終わって、あとは判決だけという、そういう状態になるんじゃないかということは、囁かれていたんですけれども──。
 裁判の結審というのはどんなに劇的なものかというと、意外にあっさりとしたものです。実は原告側、つまり差し止めを訴えている側はですね、名古屋訴訟というのは原告の数だけで3000人もいるというすごいマンモス訴訟なんですね。ですから、原告に一人ずつしゃべらせようと要求しているんですけれど、3000人がしゃべったら大変なことになる。そもそも原告をどこに置くかということになってしまいますよね。いろいろと証人申請もたくさんしているわけですので、原告側が要求するままにやっていたら切りがない。永遠に裁判が続いちゃうようなことになっちゃうわけです。
 ですから私の証言が終わった段階で、裁判長が「あとの証人申請、その他すべて却下します」と、えらくあっさりというか、ズバッと全部却下し、「これでもう結審します」ということを宣言されまして。それは何かすごく事務的というか、ちょっとつっけんどんな感じに聞こえました。
 この青山裁判長という方は、何かちょっとそういう感じなんです。まったくのポーカーフェースで、しゃべっているのを聞くと、何かすごくこう事務的でしてね。ただ、すごく熱心に話を聞いてくれている、というのはわかるわけです。青山裁判長はもうこの裁判を最後に退職されまして、それだからこういう判決が出たんだと言う人も結構多いですね。現在では名古屋の名城大学の法科大学院の教授になられています。法曹関係者を養成する、そういう仕事を続けておられるんですね。
 私も裁判というのは本当によくわからなくて、ただ弁護士の方に聞くと、これは裁判体というんだそうですけれど、要するに裁判長と右陪席、左陪席という3人の裁判官が合議して判決を決めるわけです。この3人がどういう組み合わせであるかというのが大事なんだそうです、非常に。で、青山裁判長は過去にいろいろなユニークな判決を出した経験もある。それから右陪席、左陪席も非常にこの件については熱心であるということで、期待が持てるということは、ちょっと聞いたんですね。
 ところが期待が持てるから良い判決が出るかというと、これまたなかなかそうではなくて、実は私、札幌地裁で証言したときに、これは名古屋とはうって変わって裁判長がすごくソフトな方で、何かこう、こちらが証言すると一つひとつうなずいてくれて、それですごく熱心にメモを取って聞いてくれているように見えたんですね。「これは良い判決が出るんじゃないかな」と思ったら門前払いでした(笑)。これはもうまったく駄目だったんですね。ちょっとその話はあとでします。
 1月31日の証言のポイントということと、それからこういう判決が出て、実は全国でまだこの差止訴訟はいっぱい続いているんですが、ここでちょっと局面が変わりました。
 と言いますのは、従来、国側はこの裁判に対してまったく関知せずという態度でした。関知せずというのは、要するに裁判で内容を争うと、結局、情報を出さないといけないわけです。
 つまり原告側、訴えている側は、自衛隊というのは実質上戦争に加担しているんだ、戦争に加担することは憲法違反なんだ、とこういう主張をしているわけですね。それに対して国側が、「いやいや、加担をしてないよ」というふうに具体的な内容を、証拠をもって出そうとすると、次から次へと自衛隊がやっていることを明らかにしないといけないんですね。実はこの明らかにさせるというところが、この裁判の一つの目的でもあるんです。だから国側は一切証拠も出しませんし、反論もしないということなんです。普通、証人が、例えば私が原告側証人として出て、「自衛隊はもう戦争に加担してるんですよ」というようなことを言ったら、「いや、違う」「反対尋問します」ということになるはずなんですね。ところが一切しない。
 実は札幌地裁のときは、なぜか国側の弁護団が「反対尋問します」と言って日にちまで決めたんです。日にちまで決めて──。裁判の日程って、どうやって決めるのかそのとき初めて知ったんですけど、法廷でみんなで手帳を出し合って、「証人はいつ頃がいいですか」と聞かれて、「いつだったら空いています」「法廷もいつだったら空いてるから、じゃあ、この日にしましょうか」という、えらく何かこう、あっさりとした決め方でした。
 いったん決めたんです、反対尋問、国側の反対尋問あり。こちらも相当緊張しますね。何を反対尋問してくるのかということなんですが、実はあとから取り消してきまして、反対尋問はやっぱりしないと。今回も反対尋問は一切ありませんでした。ですから、ある意味でこっちが言いたいことを言っただけということですね。
 国側としてはとにかく早く終わらせろ、こんなのは訴えの利益はないんだという、こういう姿勢ですから、内容について争わない。内容について争わないということは、何の証拠も出さないということですね。それが、国側のずっと一貫した姿勢なんです。内容を争うんじゃなくて、そもそもこんな裁判やることがナンセンスなんだという、こういう姿勢なんです。
 そういう状態をこの名古屋高裁の判決は、国側にとっても何か対応せざるを得ないんじゃないかという気持ちにさせているみたいで、このあとどうなるのかというのはちょっと注目されます。このあと、9月に岡山地裁で裁判があるんですね。それにも私、証人として行くんですけれど、今度は国側は反対尋問をしてくるんじゃないかというふうに思っています。何にもやらないわけには多分いかなくなってくる。
 つまり逆に言うと、国側としては合憲判決を出させたいということになるわけです。イラク派遣は合憲だし、違法でもないんだということを、何らかの形で訴えないと、これはちょっと国側としてもまずいということなんだろうと思います。
 ですから私たちは、それに対してどう対策を立てていくか、これから名古屋高裁判決をどう生かしてこの問題を考えていくか、ということなんです。それを最後にお話ししたいと思います。

名古屋高裁違憲判決の意義の1
〈平和的生存権〉の具体的権利性を認めたこと

 名古屋高裁──。高裁で判決が出たということは、当然名古屋地裁ですでに1回判決が出ているということですが、これは門前払いです(笑)。名古屋地裁の判決はまったく門前払いで、実質審議はまったくなし。内容に踏み込んだ検討は一切なしで、いきなり結審して、門前払いという、これは最悪の判決です。
 この名古屋高裁の違憲判決と言いますのは、先ほど言いましたように、これは多分、法学なんかを専門にやっている人にとっては、ここをいちばん強調したい点だと思うんですけど、つまり平和的生存権の具体的権利性を認めたことです。
平和的生存権というのは、その漠然としたものとしてはあるということは、わりと認められているんですけど、これをもとにして具体的な請求だとか訴訟だとかということができるのかどうかというのがポイントで、これがみんな門前払いだったんですね。
 人権としてはそういうものがあったとしても、それは具体的な何か権利性というか、平和的生存権が脅かされているから賠償しろとか、そういうようなそこまで具体的なものじゃないんだというのが、だいたい裁判所が出してきた意見、判決なんですね。
 ところが、今日の集いには判決全文も付いておりますので、ご覧いただければ分かるんですが、平和的生存権というのはすべての基本的人権の基礎にあって、その共有を可能ならしめる基底的権利である。基本的人権の中のさらに根本的なものなんだ、というふうに位置付けているんですね。ですから、これは非常に重い位置付け方です。
 重い位置付け方であると同時に、憲法9条違反行為──つまり戦争ですね──や、その遂行への加担・協力への強制、つまり国民を戦争に動員するとか、戦争に加担させることを強制するというようなことがあった場合、裁判所に対し差止請求、損害賠償請求等の方法により救済を求めることができるんだというふうに言っているんですね。これは非常に画期的だというふうによく言われます。つまりこれを具体的に、平和的生存権に基づいて賠償請求をするということはできるんだと言っているんです。
 しかしできるんだけどれも、今回賠償は認めないというのが、実は主文なんですね。これはなかなか難しくて、要するに平和的生存権が脅かされているから賠償を請求するというのは、その原告たちにとって本当に切迫しているのかどうかということがポイントで、まさに自分の平和的生存権がもうひしひしと脅かされている、だから賠償を払えというところまでは今回はまだ行っていない、というのがどうもこの判決で、だから賠償は認めないということなんです。
 ただ、その賠償請求をするということは、これは認められることなんだという、そういう言い方です。ですから、これはこのあとにつなぐことができる。つまりこの高裁判決を使って、この高裁判決はもう確定しているわけですから、これを使って、これに基づいて賠償請求があり得るんですね。こういう道筋を示したということで、多分こういう自衛隊絡みの訴訟をやっている人たちにとっては、たいへん大きな勇気を与えた判決で、門前払い判決が出しにくくなったことはもう間違いないですね。
 つまり高裁で、これは具体的な権利なんだと、賠償請求は行っても良いのだということを判決で出して、しかも確定してしまっていますから、そういう点では今後に非常に大きくつながる判決であろうと思います。

名古屋高裁違憲判決の意義の2
自衛隊のイラクでの活動が違憲(憲法9条1項違反)であるとの判断

 その次にこの判決の意義ですが、私は全然法律家ではありませんので、私が何か法律論をいくら言ってもあまり深みがないんですけれども、私にしてみると、この2の自衛隊のイラクでの活動が違憲なんだ、これはつまり戦争加担なんだということをはっきりと認めた、そういう判断をしたということですね。憲法第9条第1項、つまり戦争放棄、いちばん大きな原則ですが、これにそもそも違反しているんだというんですね。これは非常に大きなことですね。
 どうしても私たちは、それは大原則だけれども、どちらかというと争うときには第2項、戦力不保持とか交戦権の否認とか、こっちを使って何とか議論しようとするんですけれど、この判決は正面から第9条第1項、戦争放棄に違反しているんだと言うんですね。それを掲げたところが、これはまあ、たいへんな正攻法だと思います。
 イラクで2003年以来行われている戦闘は、一貫して国際的な戦闘なんです。何のことかと言いますと、もういったん戦争は終わっているんだという議論なんです、国側は。戦争は終わっていて、国内、イラク国内の問題である。戦闘行為をやっているのも、別にイラク政府じゃなくて一部の武装集団がやっているだけなので、これは戦争じゃないんだ。つまり戦争というのは国と国がやるものであって、現在のイラクの状況というのは戦争じゃない。だから戦争に加担しているわけじゃないんだと、こういう論理になるわけです。
 そこをですね──実は今日、映画人九条の会の事務局長さんがたいへんご苦労されて、この判決全文を手に入れて配っていただいていますので、これをずっと読んでいくと多分私の講演時間でも足りないぐらいのことになっちゃうわけですが、これはものすごく細かい事実認定なんです。何年何月何日にこういうことがあったということを、こんなに細かくやって認定しなくてもいいだろうという、それぐらい細かくやっているんですね。
 つまり、こういうふうに事実認定をずっと重ねていって、これはやっぱり戦闘であり、なおかつこれは国際的な武力紛争だと。これは戦争が終わって、その後始末段階というのとはちょっと違うぞということを言っているわけです。ですからそれは非常に、何となくそういうふうに思うというんじゃなくて、これはやっぱり裁判ですよね。すごく細かい事実認定を積み重ねていって、それでこれはやっぱり戦争なんだと。それに日本は非常に深く足を踏み込んじゃっているんだ、ということです。
 ですからイラクの状態をまずどう認定するかという、そのいちばん根本的なところからやっているんです。その作業は、これは随分膨大なものです。
 なぜならば、日本のマスコミはあんまりイラクのことを具体的に報道していないですよね。マスコミにはマスコミの事情があるわけですけれど、これは例の自己責任論というのがありまして、イラクで捕まっちゃった人たちがいて、行っている人の自己責任だ、みたいなことがあって。あのときにけっこうマスコミ各社は、特派員を引き揚げちゃったところが多いんです。フリーのジャーナリストで報道している人は多いんですけれども、情報量としては少ない。大きなマスコミでは、アメリカ経由ではない情報が詳細に出てくるということはあんまりないんです。アメリカ経由の情報というのは、もちろん全部が全部というわけじゃありませんけれど、やっぱりアメリカ寄りの情報というのは多いわけです。
 そうしてみますと、これは圧倒的に情報不足なんです。日本のマスコミでもこのイラク戦争についてわりとよく報道しているのは、北海道新聞です。これは最初に派遣された部隊が旭川の部隊で、北海道の部隊だったものですから、北海道新聞はわりと時々特集を組んだりして、よく報道しています。それから東京あたりだと東京新聞ですね。東京新聞の本社は中日新聞ですから、中日新聞もこれをわりと大きく扱っています。
 このイラクの実態というのを非常に事細かに調べて、それで法廷でイラクの状況を撮影したDVDとか、そういうのも証拠として見たんだそうです。ですから随分証拠調べを一生懸命やったということがあります。
 それからもう一つは、イラクの実態が戦争なんだとは言っても、自衛隊の関与の仕方が武力行使と一体化したものであるかどうかというのは、これまた認定していかなきゃいけないことなんですね。イラクの状態は確かに戦争状態かもしれないけれども、自衛隊の関わり方は別にそういうものじゃない、これは復興人道支援だから、戦争に加担しているということじゃないんだ、というのが国側の主張です。
 しかし、実際にアメリカ軍をはじめとした武装兵力を運んでいるということ。それから多分医薬品なんかだろうと思うんですけれども、そういうものを運んでいるということは、実際に自衛隊はドンパチやっているわけではないんですけれど、これは限りなく武力行使を支えているということには間違いないんです。
 ここで重要なのは、具体的に何をやっているかという認定と、それからもう一つ、輸送とか補給というのは戦闘行為とどう関係しているのかという、ここなんです。輸送とか補給というのは、実は戦争にとっては不可欠のもの、戦闘行為にとっては不可欠のものなんだということを認定するかどうか。多分私が証人として選ばれたのは、戦争史、戦争の歴史の中で補給とか輸送というのはどういう役割を果たすものなのか、ということを証言してほしかったからだと思います。
 考えてみますと、太平洋戦争のときには輸送や補給部隊は、大変な損害を受けたわけです。これは必ずしも軍人だけではないですね。商船の乗組員というのは民間人ですから、この人たちは大変たくさん亡くなっているわけです。ですから補給とか輸送というのは正に、もし相手方に反撃能力さえあれば、第一にそこは狙われるポイントなんです。つまり戦闘部隊を攻撃するよりも、輸送部隊、補給部隊を攻撃して補給を断ってしまえば、最前線の戦闘部隊はその能力を発揮することはできないわけです。
 ですから、まさに戦闘力を維持するために輸送、補給は不可欠の条件です。日本軍はいやというほど、それを知ったわけです。日本人はそのことを、いやというほど思い知らされたはずなんですね。だから輸送とか補給というのは戦闘とは別なんだということは、およそ言えないはずなんです。
 ところが、その輸送とか補給というのは戦闘行為ではないんだ、だからこれは戦争に踏み込んでいるわけではないんだというのが、このイラク戦争における政府の見解でありまして、輸送、補給と、それから支援ということと、戦闘行為というのを明らかに分けているみたいですね。いや、これは分けられないんですよというふうに考えるのか、いやいや分けられると考えるのかで、全然話が変わってきます。
 私はだから歴史的に見て、それは現代戦争になればなるほど、それは分けられないんだと。むしろ現代戦争というのは生産力、補給力、輸送力、これによって逆に決まるような、そういうものなんだということを申し上げたわけです。そういう補給と戦闘との関係について、この判決はその考え方を採用してくれました。

名古屋高裁違憲判決の意義の3
自衛隊のイラクでの活動をイラク特措法違反であるとの判断

 3番目が、自衛隊のイラクでの活動をイラク特措法違反であると判断したことです。この判決というのは、オーソドックスな政府寄りの憲法解釈をとっている人でも文句が言えない形になっている。つまり政府の見解をまず基にして、政府の見解からも逸脱しているんだという、こういう論理なんですね。自衛隊が違憲だとか、そういう判断をしているわけじゃなくて、自衛隊を認めたとしても、政府の言うことを全部認めたとしても、それから逸脱しているという、こういう言い方なんですね。
 ですから、これはある意味で非常に巧妙な言い方ですね。憲法からも逸脱しているけれども、イラク特措法、イラクに自衛隊を派遣するためのイラク特措法にすら逸脱しているということなんです。
 この名古屋高裁の判決というのは、その時点ではもうすでに陸上自衛隊が撤収していますので、ほとんど争点は航空自衛隊の輸送活動に置かれているんです。つまりこれは、航空自衛隊がバグダッドに物資とか人員を輸送しているということなんですけど、そのバグダッドというのは、戦闘地域外なんだというのが政府の見解です。戦闘地域外に輸送しているんだから、これは平和的なものであるということなんですけれど、この判決を見ていただきますと、ここでも詳細にバグダッドというのはいかに危険な状態にあるか、戦闘地域というふうに言えるのかということを一生懸命証明しているんですね。
 それはそうなんですよ。バグダッド周辺って、しょっちゅう米軍が空爆しているんです。空爆するというような地域は、これはちょっと治安が悪いぐらいの話では済まない地域です。
 もちろん地上部隊は──地上部隊が送れないから空爆しているというんだったら、ちょっとは分からなくもないんですけれど、地理的な条件で地上部隊が送れないので空爆しているというんじゃないんです。バグダッドですから、地上軍も行って攻撃している。なおかつ空爆もやっているわけですから、これはもう完全に治安維持とかいう範ちゅうは超えてしまっている。これはもう完全に戦闘状態である。その戦闘地域であるということを、一生懸命証明しているわけです。
 それから、これはさっきも言いましたように、現代戦においては輸送、補給活動も戦闘行為の重要な要素であるということです。その戦闘行為を行っている武装兵員を、戦闘地域というふうに言わざるを得ないバグダッドに空輸しているということは、とりもなおさず戦闘行為を支えているんだという、こういう論理ですね。
 ですから自衛隊が直接砲撃、武力行使をしてなくても、武力行使をしているものを送り込んでいるということは、これはもう間違いなく武力行使と一体化しているんだと。これが一体化しているということをもって、憲法違反であるというふうに言ったわけです。
 これが3つ目。つまり1つ目は平和的生存権、2つ目はこのイラク派兵が違憲であるというふうに言い切ったということ。3つ目は、イラク特措法に照らしてみても違法である。実際に戦闘地域じゃないなんていうふうには言えないということですね。
 そもそも戦闘地域というようなことを限定すること自体が、難しいということもあるんですね。実際、戦争というのは、固定的にここは戦闘地域で、ここは戦闘地域じゃありませんというようなことが、恒常的に認定できるようなことはあり得ないわけです。戦争というのは常に流動的なわけですから、そもそもそんなふうに法律で決めていること自体、無理があるんですけれど、無理なことは一応認めたとしても、適用において逸脱しているというんですね。

名古屋高裁違憲判決の意義の4
司法による憲法判断

 4番目なんですけれど、実は司法はずっと憲法判断というのをしてこなかったんです。さっきちょっとお話ししました長沼ナイキ訴訟というので、裁判所が違憲判決を出した。これがいつのことかというと、1973年なんですよ。さきほど上映された「サイボーグ009 太平洋の亡霊」よりは新しいですけれども。それでも大変なことです。しかも、この判決は結局、高裁でひっくり返ってしまっていますので、確定したわけではないんです。
 湾岸戦争以来、自衛隊がどんどん海外に出て行く。1991年に湾岸戦争、厳密に言うと90年に湾岸危機で、地上戦が始まったのが91年ですね。ですから湾岸戦争は91年なんです。その戦争が一応終わったあとに、海上自衛隊の掃海艇がペルシャ湾に行った。ここから自衛隊の海外派兵──海外派遣か派兵かといろいろ言われますけど、とにかく海外に行くということが始まりました。厳密にいうと朝鮮戦争のときに、当時の海上保安庁がちょっと出て行ったという事例はあるんですけど、それを除けば、少なくとも海外に出て行ったことはこの湾岸戦争が初めてですね。
 それ以外は、PKOで段々出ていく。法律もPKO協力法というものができていますから。それで今度はイラクに派遣された。これはPKO段階から見ても、全然段違いのことなんです。なぜならば、PKOというのは一応、国際的な警察として行っているんですね。ですから、PKOで行っている自衛隊というのは、最初は拳銃、ピストルしか持って行ってなかったんですよ。ところが、2回目のPKOから、ちょっと拳銃だけだと心許ないということで、小銃まで持って行ったんですね。3回目のPKOで、小銃だとちょっと弱いんで、機関銃まで持って行っていいでしょうということで、一応、機関銃まで持って行ったんですね。ところが、さすがにそれ以上の物はPKOでは──警察ですから、警察治安を維持するための協力ですから、機関銃以上の物を持って行ったら、ちょっと警察の域を脱してしまいますから、持っていけなかったんです。
 ところがイラク派遣になると、装輪装甲車とか、対戦車ロケット弾とか、今までおよそ考えられない物まで持って行ったわけです。
 何で今まで武装して行ったのかというと、これは隊員に危険が及ぶ可能性もあるので、護身のために持っていく必要があるんだということですね。イラク派遣も一応論理の上では、護身なんですよ。身を守る。隊員が危険にさらされるといけないので、身を守るために武器を携行しますと。
 しかし、対戦車ロケット弾というところにまでなると、相手が戦車でやって来るということを前提にしているわけですよね、それは。そうなると、これはちょっとした治安の維持とかというのとはおよそ違います。ましてや治安の維持とも言ってないわけです。復興人道支援だって言っているわけですから、それで持っていく武器としては、あまりにも重武装過ぎる。こういうことです。実はこれは、札幌地裁で私が証言したことなんです。
 この名古屋高裁段階ですと、航空自衛隊ですから、隊員が携行している兵器としては拳銃、それから小銃、それから短機関銃、サブマシンガンですね。こんなものを持っていっています。さすがに陸上自衛隊と違って装甲車とかロケット弾じゃないんです。
 ただ、一つ争点になりましたのは、フレアという兵器が存在します。これは航空自衛隊が普通持っている兵器じゃないんですけど、イラクに派遣されるということで、臨時に装備した兵器なんです。
 フレアというのは、炎という意味なんですけど、これは空中を飛んでいる輸送機を目がけて地上からミサイルが打たれたときに──大体ミサイルというのは赤外線を追尾しているんですね。つまり熱源を追尾してくるようにできている。そうすると、飛行機の方からもっと強い熱源、赤外線を出すものを落としてやると、ミサイルはそっちの方に行っちゃうわけです。ミサイルを誤誘導、間違って誘導させるための兵器として、このフレアというのがあるんです。相手がミサイルを打ったなということを自動的に検知して──ミサイルを打ったときに赤外線が発射、発光しますので、それを自動的に検知して、その飛行機からフレアが発射される。こういう仕組みになっています。
 これは実は、航空自衛隊は普通には装備してないんです。ところがイラクに行くということで、臨時にそれを装備したんですね。実は、そのフレアの装備に関連して起こったのが、例の山田洋行事件なんです。だからちょっと、そこは繋がっているんですが、それはちょっと置いておきます。
 これは、明らかにミサイルで打たれるということを予期していなければ、こういうものを装備する必要はないわけです。現実にフレアが何回か作動したことがあると言われています。ということは、ミサイルが発射されたかもしれない。ミサイルが発射されたかもしれないと判断して、この機械が自動的に判断するんです。そのフレアが発射されたということがあるんだそうです。ですから、かなり切迫した状況ですね。自衛隊の方も、そういう非常に危険な状態があり得ると考えている。これを戦闘とは関係ないとか、戦闘地域じゃないとかと言うこと自体が、非常に無理があるわけです。
 そういう兵器のレベルから見ても、明らかに自衛隊、海外に出ていく自衛隊の質というのは変わってきています。この15年間くらい、湾岸戦争以来ですね、自衛隊は明らかに変わりつつある。例えば海上自衛隊は湾岸戦争から今日までに、トン数で1.5倍になっています。湾岸戦争当時、総トン数30万トンであったのが、現在45万トンです。1.5倍。冷戦後、トン数が1.5倍になっている海軍というのはほとんどないですよ。
 海上自衛隊は、トン数で言うと世界第5位です。アメリカ、ロシア、中国、イギリス、日本という順位になっています。だから、結構なトン数なんです。この30万トンから45万トンにいく過程で、フランスを抜いています。インドも抜いています。インドも結構な海軍国です。
 しかしそういうことというのは、あまり一般的には知られていませんし、ただトン数が増えているだけじゃなくて、要するに自衛隊の性格が変わりつつあるということなんです。つまり、海外遠征能力というのが高められていて、艦艇が大型化しているということなんです。そういうことが何かいつの間にかどんどん進められていて、なし崩しに行われている。既成事実を積み上げて行われているんじゃないかと。
 だから、ここで司法が歯止めをかけてほしいということを──本来これは、軍事の問題というのは、やっぱり国会が、政治の力がきちっとチェックしなきゃいけないんですけれど、どうもそれが十分にできていないので、司法が判断をしてほしいというのが、私の証言の最後の訴えの部分なんです。だから、司法が何とかしてくださいということをお願いしたわけですけれども、名古屋高裁はそれをやったということですね。司法判断したと、憲法判断したということです。

前提としての札幌地裁「箕輪訴訟」

 もう既に、かなり私の証言の内容について踏み込んでお話をしておりますが、先ほどから言っています札幌地裁の訴訟というのは、通称「箕輪訴訟」と言います。箕輪登さんという人が原告代表で始まった訴訟なんですね。
 私は2006年の5月8日に、札幌地裁でイラク派遣・派兵差止訴訟、通称「箕輪訴訟」で証言してきました。このときは陸上自衛隊がポイントで、さっき言ったようにあまりにも復興人道支援とは無縁な装備だということを証言したんです。
 この箕輪登さんという方は、私もどっかで聞いたことがある名前だなと思っていたんです。この人は、元防衛政務次官をやっていた人で、要するに自衛隊を作った人なんですね。自衛隊側の人なんですよ。自民党の国会議員で、政務次官までやった人ですから、まさに自衛隊側の人。防衛省、当時の防衛省側の人なんですけれど、この人が「自衛隊というのはそういうもんじゃないんだ。専守防衛のためにあるものであって、自衛隊が海外に出ていくなんてけしからん」と言って訴訟を始めちゃったんですよ。これは大変なことですね。
 私は実はそれ、全然結びついていなくて、箕輪登さんという自民党の国会議員がいて、いわゆる国防側、結構タカ派だというふうに頭にあった。こっちで訴訟を始めた箕輪登さんとは同姓同名の別人だと思っていた。ところが、同一人物であるということで驚いたんです。
 私が証言をした2006年の3月ぐらいから、いろいろと打ち合わせで札幌に何回も行ったんですけれども、箕輪さん、いよいよ病気が進んでしまって、もう危ないという段階だったんですね。3月にお会いしたとき、病院に行ったときには、もうほとんどお話できない状態でした。ただ、こちらが言うことはまだ分かるけど、それをはっきりと口に出して答えることができないというような、そういう状態でした。一応、話も分かるということなので、いろいろとお話をして、こういう証言をしますよということを申し上げると、非常に強く反応されて、言葉でははっきりはしませんけれど、よろしく頼むという感じの反応だったんですね。
 5月8日に証言したときは、もう本当にきわどい段階で、その1週間後に亡くなられるんです。ところが、証言をしてきたことを病院に行って報告して、こう手を握って、「証言してきました。こういうことで証言してきましたよ」と言ったら、すごく強くぐっと握り返してきたんです、箕輪さんが。もう、こっちの言っていることは分からないんじゃないかなと思ったんですけれども、やっぱりそうじゃなかったんですね。頼むぞ、という意思が私の方に伝わってきました。
 そういう点では箕輪さんと私は2回しかお会いしていませんけれども、やっぱりこの訴訟に関わって、自衛隊を肯定している人であっても、今の自衛隊の在り方に疑問を感じている人は結構いるんだなということを強く感じたわけです。ですから、箕輪さんとそういう約束をしたと思っているんです。この訴訟は箕輪さんの意思を継いで、箕輪さんは亡くなられてしまいましたけれども、この訴訟に関わっていくことの意味があるんだと、私なりに理解しました。

名古屋高裁での証言のポイント

 名古屋高裁の私の証言要旨というのが、今日お配りしたレジュメの後半部分にあります(本講演録の末尾に掲載)。これは弁護団がまとめてくれた証言要旨です。実際は非常に長く証言をした──途中休憩を挟んで、確か13時から証言して夕方までの証言でしたから、結構長かったんです。途中で休憩も一度入れていますので、結構長くて、問答集として載せますと大変長くなってしまいますので、弁護団の方でうまく要領よくまとめてくれた証言要旨を挙げておきました。
 そもそも私が証言に出るということは、意味があるのかどうかというところから証言を始めるしかありません。私は別に現代軍事の専門家というか、自衛隊関係者でもありませんし、イラクに行ったこともないわけですし、いわゆる軍事評論家みたいな立場ではありません。しかし、歴史的に見るということの意味があるんだということを、ちょっと言わないと、なんか場違いな証人が出てきたという感じになってしまいますので、そのことについて説明をしました。
 それから、イラクで行われていることはやはり戦争であろうと。歴史的に見ても、戦争じゃないと言って戦争が行われたことはいっぱいある。ここが私の、ちょっと出番なんですけれども。
 歴史的に見ると、これは戦争じゃないんだぞって言っていたけれど、本当は戦争だったというのは満州事変とか──。日中戦争というのは、今では日中戦争と言いますけど、当時は支那事変と言って、戦争じゃないんだと言い張っていたわけですよ。しかし当事者が戦争じゃないと言っていても、実態として戦争であるということは、過去にいくらでもあります。それは、その規模とか、あるいは犠牲者の数とか、あるいは政治性ですね、政治的な目的によって行われているというようなことから具体的に判断すべきであって、例えば国家と国家が戦っているから戦争だ、というような単純なことではないんです。
 現在イラクでは、国家と国家が戦っているわけではないんです。もっと複雑な状況です。例えば、そういう割り切り方で戦争でないという言い方は、歴史的に見てもおかしい。ゲリラ戦争というのも19世紀以来、これは一般的な戦争の一形態であるということをお話をしました。
 それから、バグダッドやバグダッド空港はもう戦闘地域なんだと。さっきの空爆のこととか、航空自衛隊の輸送機がフレアを装備しているということを見ても、これは戦闘地域であると言っていいんじゃないかということですね。
 それから、これを言うために多分私は呼ばれたんだろうと思うんですけど、輸送とか補給というのは、戦争においては最前線で行われている戦闘と一体不可分のものである。だから、実際にはそこで犠牲が出ることも多いわけですし、輸送や補給をやっているから安全だなんて、およそ言えないわけですね。
 今日は映画人九条の会の集いですから映画の話で言うと、「母べえ」の山ちゃんはどういう状態で死んでしまったのか。まさに輸送中に輸送船が撃沈されて、沈没して溺れ死んじゃうということですよね。実際の話、多いんですよ。海没と言うんですけど、海に没するです。そういう、実際に戦うとかという以前に亡くなってしまう人は非常に多いわけです。海没者の数はなかなか計算が難しいんですけども、40〜50万人はいます。ですからそういう点では、やっぱり輸送ということを戦闘と切り離して考えてはいけないということですね。「母べえ」の話は裁判ではしませんでしたが、輸送だとか補給だとかというものと、戦争、戦闘とは絶対に切り離すことができないんだということですね。
 ましてや航空自衛隊は、アメリカ軍の指揮下、アメリカ軍のいろんな手配のもとに輸送を行っているということで、アメリカ軍と一体化しているということと。また、武装兵員を輸送しているということ、あるいは医薬品なんかを輸送しているということ。
 医薬品は、なにか人道的な意味合いもあるような感じがしますけれど、これは多分アメリカ軍が使う医薬品です。空輸しなきゃいけないというのは、かなり緊急性を有するものだと思います。そういうものが民間人に使われているんだったら、堂々と発表すればいいわけですよね、国が。「いや違います。これは民間人が使っているんです」というふうに発表すればいいわけです。それなら復興人道支援だって言えるわけですけど、発表できないということは、これは多分、軍事的な使い方をしているということですね。
 で、武力行使は当然憲法9条第1項で否定されているわけですけど、それと一体化している、不可分のものというのも、これは違憲じゃないのかと。これはですね、1996年に当時の大森法制局長官という人が、そういう答弁を国会でしているんです。武力行使だけではなくて、何が許されないかというと、武力行使と一体化している行為も許されないんだと。これも憲法違反なんだ、それも許されないんだということを、別に今日のこととは全然関係ないシチュエーションで、法解釈として言っているんですね。こういうことを言っているんだから、実際にやっていなかったとしても、直接やっていなかったとしても、武力行使と一体化していれば、やっぱり憲法違反と言えるんじゃないかということをお話しました。
 それから、なんせ情報を出してこないというのは、シビリアン・コントロールにも反するじゃないかということですね。実際、国側が裁判に出してきた資料も、ほとんど墨塗り状態です。墨塗り教科書というのが終戦後ありましたけれども、あれよりもっと真っ黒です。あれはどっか読めますよね、墨塗り教科書は。全部墨を塗ったら何も使えないわけですから。けれど裁判の資料は、何にも使えないです、本当に。ほとんど98%くらいは墨なんです。何にも使えない。何を運んだのか。墨を塗ったということは、何を運んでいるか、ということです。そこに、墨だったんです。ところどころ空いているのは、要するに日本本国から視察に誰か、国会議員とか行きますよね、その人を運んだとかというのは空いているんです。それから、なぜか保育器を運んだというのが墨が塗られていなかった。保育器は軍事的には関係ないので良しとしたんでしょうけれども、それだったらもっと墨を塗らないで見せてくれれば良さそうなものなのに。そういうようなことで、復興人道支援だというなら、もっと出せるはずなんですよね。
 アメリカの戦略に対応した自衛隊の変容は、さっきも言いましたが、この15年間で海上自衛隊は1.5倍になり、遠征能力が高められ、輸送能力が高められ、補給能力が高められた。例えば、輸送艦「おおすみ」なんていうのは、元々古くなった1380トンクラスの輸送艦が、「おおすみ型」に更新されて8900トンになったんですね。こういう増え方をするものですから、1.5倍ということになるんです。それから補給艦「ましゅう」、これは13,500トン。これは現在、海上自衛隊の中で一番大きな船ですね。
 というふうに、どんどん更新──新しくしますということで、巨大な船ができ、性質自体が変わってきちゃう。大きくなるということは、要するに燃料搭載量が増えていくということで、やっぱり遠征能力を増強してるということなんですね。それは国民的議論は全く不十分であって、やはり今は司法が憲法判断を下して、現状チェックしてくださいということを申し上げました。7番目のこと(自衛隊はアメリカの戦略に沿って変容を遂げていること)は、原告弁護団が作ってくれた証言要旨の中には十分書かれているわけじゃないんですけれど、これは確かに申し上げました。
 別に、最後にすがるのは裁判所ですと言ったわけじゃないんですけれど、しかし裁判所がやはり判断を下さないと、どんどんずるずる現状が変わっていってしまうんじゃないかという、そういう危機感を表明しました。

名古屋高裁判決をどう生かすか

 名古屋高裁の判決をどう生かすかという最後のところなんですけれども、やはりなんと言いましても、イラクの実態が分からない。それから自衛隊の実態が分からないというのが、根本にあるんですね。
 ですからこの裁判は、非常にそこを踏み込んで判断しようとしたわけです。イラクの実態とは何か、自衛隊がやっていることの実態とは何か。やっぱり、もっと私たちはそこに関心を払わなきゃいけないんですね。
 イラク派遣だと言って、その行くところと帰ってくるところはニュースになりますけれども、行って何をやっているのか、何になっているのかということが実際重要で、もちろんそれは税金によって行われているわけです。ですから本来、それは最大限公開しなければいけないはずなんです。お金の使い道の問題ですから。ところが、最大限公開するんじゃなくて、最大限隠しているんです。それは要するに、お金の使い道を隠しているということですから、ここにもっと私たちは大きな注意を払わなければいけないのではないかということです。
 全国で多くの差止訴訟が行われていて、この名古屋高裁の判決をテコにして更に展開するとは思われるんですけど、やはり、イラクや自衛隊の実態ということはもっと広く知られて、関心を持たれないと、「なんでそんな訴訟やってんの」ということになっちゃう。実際、賠償を得られなかったのになんで喜んでいるの、ということになっちゃうんです。別に原告の中で、本当に賠償してもらいたい、お金を貰いたいという人はほとんどいないわけです、現実には。むしろそういう状況を憂いているから、裁判を起こしているわけです。
 逆に、賠償は認めるけれど、今の自衛隊やイラクのことは問題ないという判決が出ちゃったら、それはそっちのほうが問題です、原告としては。困った判決だということになるんです、原告にとってはですね。やはり戦争の実態、戦争の歴史も含めて、多くの市民が知るということが重要です。
 戦争というのは、人間が懲りずに繰り返してきた病気みたいなものです。さっきの「サイボーグ009」じゃないんですけれども、あれだけ痛い目にあって、もう二度と戦争はこりごりだと思っても、やっぱり時間が経つと、それが緩んできてしまうということですね。
 ですから、私たちが現実の戦争ということと、やはり過去に遡って──そこには多くの人が命を落として、私たちに何かを伝えようとしているわけです。それをどう汲み取るか、ということです。
 よく、何か戦争を否定的に言うと、「そこで死んだ人は犬死にだったのか」と言って怒り出す人がいるんですけど、犬死ににするかどうかは、私たち次第なんですね。その人たちの死を、また繰り返すようなことをしてしまったら、それこそ、最初に死んだ人たちは犬死にということになっちゃうわけです。「009」にも、まさにそういう部分がありました。
 ですから、その時点では確かに犬死にと言えば犬死になんです。「母べえ」の山ちゃんみたいな好人物が、なんであんなふうな死に方をしなければいけないのか。あの死そのものには、なんの意味もないというシーンなんですよね。ですから、それを私たちがどう生かすかということにかかっているわけでありまして。
 私たち市民が軍事を監視する、コントロールするという力を強めていく。その武器になるのが憲法9条で、それを具体的に、今度「平和的生存権」ということが強く謳われましたので、それを使って軍事をコントロールしていく。
 軍事というのは、誰かが理性的に常にうまくコントロールしてくれるというものじゃないんです。必ず道を踏みはずすという性格があるんですね、これはね。これはもうほとんど構造的なものと言っていい。遺伝子と言っていいかもしれません。ですから、それをさせない。放っておいたらやっぱり駄目なんです。常に監視にさらされていないと、変な方向にいってしまうおそれがあるんだというふうに見たほうがいいと思うんです。
 ですからそれを私たちが、自覚していく、広めていくということこそが一番重要なことで、市民がちゃんと軍事をコントロールしよう、監視しようという意欲を失ってしまうと、知らないうちにとんでもないことに突き進んでしまうことなるんだろうと思います。 ちょっと時間が過ぎてしまいましたが、私が今日用意したお話は以上です。どうもありがとうございました。(拍手)

 
(文責・映画人九条の会)

【資料】名古屋高裁証言要旨

2008年1月31日

証言要旨

明治大学教授 山田 朗

第1 軍事史研究の手法の有効性

 軍事史は軍事学の基礎である。
 戦争の本質は、強制力をもって特定の政治的意思を相手に強制力をもって押しつけることであり、その性質は普遍的である。
 したがって、現在行われている戦争を分析・評価するにあたって、歴史(とくに20世紀の戦争の歴史)を踏まえて解釈することは有効である。
 さらに、現在の軍事が向かう方向を正しく評価するためには、戦争の一時点だけを見るのではなくどこからどこへ向かおうとしているのかという時間の流れを見ることが不可欠である。

第2 アメリカ軍は2003年以降現在まで、イラクで戦争を行っている

1 戦争/戦闘行為 については実態を捉えて判断すべきである。
 戦争が行われているかについては、実態を捉えて判断すべきである。
 伝統的な国際法上の定義である、国家対国家、あるいは政府対政府の戦闘であるかどうかという、狭い枠で戦争か否かを判断すべきではない。ナポレオン戦争以後の戦争では、正規軍同士の戦闘と同時に、非正規軍との戦闘も並行して進められてきており、国家対国家、政府対政府という狭い概念にとらわれると、戦争の実態を見誤ってしまう。 政治的な意図を強制的に押しつけようとする場合は相手が非正規軍であっても戦争である。政治的な目的のもとに武力が組織され、組織的に武力を用いた抵抗が行われ、戦闘行為が継続していて、軍事的な行動による被害者が多数出ていれば、その状態は戦争と評価すべきである。
 
ブッシュ米大統領が主要な戦闘終結宣言を行ったり、イラクのフセイン政権が倒壊して新政府が成立したりしていても、そのような形式的な事柄をとらえて戦争が終結したということはできない。
2 アメリカ軍がイラク駐留を続けている現状は、戦争の一態様である。
 イラク戦争は、アメリカが圧倒的な軍事力をもって始めた戦争である。
 アメリカの圧倒的軍事力に対する抵抗として、正規軍以外の者による、組織的な武装闘争が全土で起こっている。自爆テロのように一見、アメリカに対する抵抗とは無関係に見える行為であっても、現在のイラク政府及び現在イラクへ駐留しているアメリカ軍の権威失墜を狙った、アメリカへの抵抗する意図をもった行為である。
 正規軍以外の者が圧倒的な軍事力に抵抗するために武装闘争を行い、それを圧倒的軍事力を持つ側が制圧しようとしている場合、それはゲリラ戦であり、戦争として評価すべき状態である。
 現在、組織的な武装闘争を制圧するために、アメリカ軍はイラク全土に駐留し、「掃討作戦」を実施している。アメリカ軍が大規模に、相当の機動力を用いてゲリラの制圧を行おうとしている実態は、まさに現在もイラクでアメリカが戦争を行っていると評価すべきものである。

第3 バグダッド及びバグダッド空港もまた、戦争が継続している地域である。

 アメリカ軍は首都バグダッドでもゲリラ制圧のための戦争を継続している。
 バグダッド空港に輸送を続ける航空自衛隊は、ミサイル回避のためのフレアをイラクで使用している。制式兵器ではないフレアを航空自衛隊がイラクで用いていることは,ミサイル回避措置を講じなければならない,戦争が継続している地域で輸送活動を行っていることの現れである。
 バグダッド及びバグダッド空港もまた、アメリカが戦争を継続している地域である。

第4 輸送活動は戦争遂行・戦闘行為と不可分一体の軍事行動である。

 戦争遂行には、戦闘行為とあわせて情報収集・分析、機器類のメンテナンス、兵員に対する衣食住の提供、医療行為、輸送・補給という作戦支援活動が不可避的に伴う。戦闘行為は、作戦支援活動を伴う戦争全体の一部にすぎず、また作戦支援活動なくしての戦闘行為は想定できない。輸送活動は戦争遂行・戦闘行為と不可分一体である。
 航空自衛隊はアメリカ軍の要請を受けて、人員(情報)、物資(医薬品、兵員が携行する武器)を輸送している。
 軍隊というものは、秘密保持等の点からともに行動を行う相手として軍隊しか選ばない。アメリカ軍が輸送活動を自衛隊に任せているということは、アメリカ軍が自衛隊を軍隊として考えているからに他ならない。航空自衛隊がアメリカ軍中央司令部内に空輸計画部を設けているのは、アメリカ軍の指揮の下で空自が輸送活動を行っていることを端的に表している。このことからも,アメリカ軍の戦闘行為と航空自衛隊の輸送活動の一体性・密接性は明らかである。
 アメリカ軍がイラクでの戦争を継続することと、日本の航空自衛隊の輸送活動は不可分一体の軍事行動である。

第5 航空自衛隊の輸送活動は憲法9条1項に違反する行為である。

 1996年5月21日、大森内閣法制局長官答弁に従えば、現在、イラクで航空自衛隊が行っている輸送活動は、アメリカ軍の武力行使と不可分一体であり、憲法9条1項に違反する行為である。

第6 情報が隠匿されている状態はシビリアンコントロールに照らして問題が大きい

 航空自衛隊が何をどれだけイラクで輸送しているかという点についての情報が国会に対しても、司法府に対しても全く明らかにされていない。
 これは民主国家における自衛隊の在り方としてシビリアンコントロール上も問題が大きい。人道復興支援活動であるというのであれば、輸送内容を最大限公開すべきである。

第7 自衛隊はアメリカの戦略に沿って変容を遂げており、イラク派遣以後もアメリカの戦略に従って共同で軍事行動を行う方向へと向かっている。

 1990年代以降、自衛隊はアメリカ軍の戦略の変化(冷戦下の核戦争対応から地域紛争対応、「対テロ戦争」対応)に従って変容を遂げてきた。
 具体的には装備の面からいえば、イージス艦建造、新型ヘリコプター搭載護衛艦の建造、弾道ミサイル防衛への参加などであり、遠征能力の向上である。また、アメリカ軍と共同して市街地戦闘訓練を行うことにより、戦闘能力も向上させてきた。
 今回のイラク派兵で,自衛隊に戦地に赴く戦闘能力があること,及び兵站能力があることが実証され,海外展開能力が完成したことが確認できた。
 次はアメリカ軍と共同しての戦闘行為への「前線参加」が想定されている。
 しかしながら、自衛隊がこのような変容を遂げていることについての国民的議論は全く不十分であり、その点が大きな問題である。イラクへの実態を直視し,現時点で自衛隊の変容を止めなければ、自衛隊が恒常的にアメリカ軍とともに戦闘行為を行う軍隊と化すことは間違いない。

以上

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