05.12.13映画人九条の会・一周年集会

映画人、九条への想いを語る!

2005年12月13日(火)18:45〜文京シビック小ホール

第一部/映画監督、九条への想いを語る!

映画監督 大澤 豊

05.12.13映画人九条の会・一周年集会
2005年12月13日、文京シビック小ホール

 皆さん今晩は。トップバッターということで、いささか緊張しています。私をご存知ない方も多いかと思いますので、簡単に私のことから話させていただきます。

 私は、敗戦の年が10歳で、国民学校4年生でした。ですから戦中、戦後を少年期で送ったわけです。空襲体験もありますし、飢餓体験もあります。戦争中に食べ盛りを過ごしていましたから、骨身に沁みて覚えています。四男坊の末っ子でした。長兄は戦死しています。

 戦後、民主主義というものがどういうものなのか、なかなか判りづらかった。これが民主主義か、と思ったのは、天皇の人間宣言でした。それまでは天皇は神様と思っていましたが、天皇は人間なのか、これが民主主義なのか、というふうに何となく判ったのです。

 私はいろいろと映画を作ってきましたが、20年前に学童集団疎開の「ボクちゃんの戦場」という映画を作りました。大阪の子供たちが島根県に集団疎開するんですが、お母さんが面会に来て、子供とのやり取りがあるんです。子供が「こんなお寺での集団生活は嫌だ。早く家に帰りたい!」と言うんです。するとお母さんは「そんなことをしたら先生に叱られる」と言う。子供は「先生なんか!」と反発する。お母さんは「先生が許してくれても、校長先生に叱られる」と言い、最後は「天皇に叱られる」となるんです。子供は「どうして天皇はそんなに偉いのか」と言うのですが、「せやかて天皇は神様やから」と言われると、それ以上は言えないんです。これは自分の体験からセリフを考えてみたんですけど、そういう少年期でした。

 当然、「新しい憲法のはなし」という副読本で勉強するんですが、憲法の話よりも食べ物の話の方が……本当に飢えていましたから。ただ、やはり新しい憲法ができて、日本は絶対に戦争はしないんだ、兵隊も軍隊も無いんだ、ということは、非常に嬉しかったですね。それほど子供でも、戦争と聞いただけで反吐が出そうな感じでした。

 ですから、明治憲法から今の憲法に変わったときも、あまりそこ(戦争放棄)は論議の中心にならなかった。むしろ天皇制をどう温存するか、GHQとの駆け引きがいろいろとあったようです。子供でしたから、戦争をしないというのは当然のことだ、ということで憲法を理解していったんです。あと権利の問題、人権の問題などは、天皇制はもうなくなるんだということで、おおまかに段々と理解していったんです。そういう私の少年時代でした。

 しかしその平和憲法が、制定されてほんの数年で歪められた。それはアメリカの圧力があってのことですが、警察予備隊ができ、保安隊になり、自衛隊になった。それも政府の解釈改憲、あるいは詭弁を使って、その場その場を言い逃れながら、軍事拡大して行ったという経過です。

 しかし周辺事態法、テロ特措法、イラク特措法というような時限立法ではもう間に合わない、アメリカの要求についていけない、ということで、逆に憲法9条を改悪して、「自衛軍」という名の下に海外で戦争できる国に作り変えようとしている。これを私たちは断じて許すことはできません。

 昨年の6月に「九条の会」が結成されました。日本の知性と良心を代表する9人の錚々たるメンバーによる「アピール」が最初に出て、7月に結成の記念講演会がありました。満員でしたが私も行きました。そこで話を聞いているうちに、段々胸が熱くなってきて、最後は涙が出てきて仕方がなかった。そのくらい感動しました。講演を聞きながら、じゃあ自分はどうなんだ、自分は一体なにができるんだ、と自問自答したことを覚えています。

 つまり憲法9条の改悪を許すと──私はそういう少年体験を経ながら反戦平和を訴える映画を随分作ってきました。広島を舞台に、長崎を舞台に、沖縄を舞台に、東京大空襲を舞台に、集団学童疎開を舞台に、常に反戦平和を訴える映画を作ってきたつもりですが、憲法9条改悪を許したらそんなことがみんな無駄になっちゃうじゃないか、ということで、何かやりたい、という想いの中で、今日一周年を迎えた映画人九条の会の呼びかけ人の一人として名前を連ねさせていただいたのです。

 そして私に何ができるかということになると、たかが映画監督ですから大したことは出来ません。だけど映画を作る技術は持っている。映画を作れる。ということで今、有志と一緒に日本国憲法を題材にした劇映画を作る準備をしています。なんとか来年(2006年)の夏ぐらいには完成させたいという思いで、脚本作りに苦労していますが、ぜひご期待いただきたいと思います。

 さて、全国に展開している様々な形の九条の会が、3600に達していると聞いて、大変嬉しく思っています。しかし、まだまだです。九条の会が日本列島を埋め尽くすぐらいの多数派を構成して、そして9条改悪を粉砕するということを、皆さんとぜひ一緒にやって行きたいと思います。

 小泉さんも自民党をぶっ壊すのは自由ですが、日本をぶっ壊されては困るんです。靖国神社を参拝しないで、憲法9条に誠を捧げてほしいと思います。皆さんと一緒にがんばりましょう。 (拍手)

映画監督 神山征二郎

 今晩は、神山でございます。大澤さんは昭和10年生まれですから、軍国主義教育を少し受けちゃいましたが(笑い)、私は戦争の終わった1945年当時4歳でしたから、国家がこれから私を軍国少年にしようと思ったら戦争が終わっていました。運よく軍国教育を受けないですんだ年代なんです。

 中国の残留孤児と呼ばれている方々と同じぐらいの歳なんです。残留孤児というのは、赤ちゃんは背負って逃げられますし、5〜6歳になれば自分で歩きますが、3〜4歳が一番始末に悪いんで、やむなく置いてきたり、売ったりなんかしてきた結果が、残留孤児になっているんです。私は大陸には行っていなくて、国内にいたので、そういう目には遭いませんでしたが。

 「草の乱」は実は憲法9条に繋がっている、という話をするといいんですが、これをやると90分ぐらいかかります(笑い)。私の持ち時間は8分しかありませんので、それは別の機会にします。

 昨日、今日あたり、皆さん関心を持ってテレビをご覧になったと思います。中国の温家宝首相と韓国の盧武鉉大統領に小泉首相が無視されている映像を楽しんでご覧になったと思いますが(笑い)、よその国ではああいう事態になったら政治責任で、即退陣ですよね。二人が帰ったあと、今日はASEAN(東南アジア諸国連合)で75億円ほど大盤振舞して大きな顔をしたかったようですが、映像を見るとあんまり大きな顔はしていませんでした。他のアジアの諸国も小泉首相に対して同じような気持を持っていることは、間違いないと思います。

 中国のことをいろんな立場の人がいろんなことを言いますが、私は22年ほど前、1983年だと思いますが、シナリオ作家協会から、八住利雄さんという「墨東綺譚」などを書いた大脚本家が団長で、副団長が新藤兼人さんで、「瞼の母」の加藤泰さん、「飢餓海峡」の鈴木尚之さん、それから、井手雅人さん、田坂啓さん、国弘威雄さんなど大脚本家がずらっと並んでおりましたが、私もちょうど「ふるさと」という映画を作ったときだったんですが、「君も行かないか」と誘われまして、末席を汚す形で第1回日中シナリオ・シンポジウムに行ったんです。

 今は中国映画も盛んになってきましたが、あの頃は文化大革命の後で、映画は遅れていたんですね。それで日本の映画に教えを乞いたいというか、ぜひ交流したいということだったんです。中国の脚本家というのは日本とちょっと違って、半分小説みたいなんです。シーン1、なになに、セリフ、という書き方じゃないんです。小説みたいにダアーッと書いて、それを監督がコンテ割りして映画にするやり方なんです。だから脚本家と言っても文学者みたいな方々ばっかりだったんです。

 一週間ほど双方の映画を観て、シナリオを検討して──。日中としては初めてのことで、画期的なことなんです。今年までずっと続いています。それで最後は一日か二日、観光になりますから、上海から帰ることになって、皆さん上海まで送ってくださって、上海で最後の晩餐がありました。必ずスピーチをやらなければなりません。日本人はスピーチが下手で、向こうの方は上手なんですが、私もひとこと言えと言われて、一番若くて43〜4歳でしたから、一番最後に挨拶したんです。

 何を喋ったか、よく覚えているんです。「20年後に皆さんと、今日と同じような温かい出逢いと別れ方ができれば良いんですが」と言ったんですね。本当にすごく温かい、良い会だったんです。まるで両方で手を握らんばかりの、中国人と日本人の作家同士が一週間手を握りっ放しみたいな、そういう雰囲気だったんですよ。でも私の中には、その頃中曽根首相でしたか、もう改憲をしたくて、自衛隊じゃない軍隊だ、みたいなことを言っていましたから、私はそう言ったんです。そうしたら双方8人ずつの代表団でしたが、向こうの人はみんな頷いているんですよ。私の言っている意味が通じたらしいんですね。20年後はこうは行かないかも知れないと。それぐらい世の中の動きというか、戦争のことも含めて世界情勢を厳しくとらえていたんですね。

 日本の側は、新藤さんなどは私と親子ぐらい歳が違うわけですから、当然戦争を経験されていますから、私の言ったことの意味はお分かりになったと思いますが、反応はちょっと別でした。私の母の弟は、たった20歳で南方の戦場に送られる途中、米軍の攻撃を受けて船は沈没、いまだに海の底に眠っているんです。一人の青年をそんな目に遭わせる権利が国家というものにあるんでしょうか。私はないと思うんです。

 第1回日中シナリオ・シンポジウムから20年目、まったくそうなっちゃったわけですよね。日本の代表選手である小泉首相が、中国に入るな、と言われているわけでしょう。お前なんか来るなと言われているわけですから、まさにそういう状況です。国民同士は違うと思いますけれど……。

 しばらく経って、私、「さくら」という映画を撮りまして、それで桜を中国に植えようというツアーがあり、私も一緒に行きました。杭州の西湖に公園があるんですが、そこに桜を植えるというツアーだったんです。そうしたら大きな石碑が立っているんですよ、私の背の二倍ぐらいの。非常に立派な石碑なんです。フッと見たら、「日中不再戦」と書いてあるんです、すごくいい字で。そして「松尾吾策」とあるんです。知らないでしょう、松尾吾策って。私は岐阜県の出身ですから知っているんですが、4代か5代前の岐阜市長なんです。私は高校に通うときにいつもその方の家の前を通っていましたから、よく知っているんです。お顔も知っています。

 日中国交を回復したのは1972年です。7月に田中角栄さんが福田さんに勝って総理大臣になって、電光石火で日中復交をやった。確か秋でしたから、2〜3ヶ月後にやったわけです。外務大臣は大平正芳さんでした。この二人でババッとやったんです。2〜3ヶ月でアメリカに相談できるわけがありませんから、相談抜きでやっちゃったんですね。その4年後ぐらいにロッキード事件が起きて、アメリカにバラされたのかどうか分かりませんが、総理大臣経験者が逮捕されて、非業の最後を遂げるんですが……。多分このことが日本の指導者、総理大臣クラスの人たちのトラウマになっているんですね。

 小泉首相は今日もインドのシンさんという首相と会って、──日本もインドもブラジルもドイツも、国連の常任理事国になろうと画策していますが、日本については中国やロシアが反対していますね。で、「またアメリカと協力して、頑張って国連の常任理事国に入りましょう」と相談したらしいんです。ところが軽くいなされているんです、シンさんに。「そうですねえ、ともに頑張りましょう。そのときどき、いろんな情勢がありますから、それはそれでいろんなことに対応しながら」と、シン首相に軽くあしらわれているんです。そんな所まで行って「アメリカと協力しましょう。そうすれば何とかなります」なんてことを言っているのです。恥ずかしい限りです。

 今日、短い時間でお話したかったことは──九条の会ですから、憲法というのは法ですよね。今日、多少はまともなことを喋らないといけないと思って、昨日ちょっと勉強したんです。「一億人の昭和史」というのを、私は資料をいっぱい持っているんです。戦争中のことを調べないといけないと思うから、ほとんど持っているんです。昭和何年から昭和50年までのことを、ずうっと毎日新聞の記事を見て行って、最後に大変優れた政治学者である松岡英夫さんが日本の総理について書いているんです。「昭和の宰相」です。近衛文麿と、戦後は吉田茂の二人のことを書いているんです。

 近衛文麿はすごくハンサムで、チョビ髭を生やしていましたが、皇族の親戚で、天皇になってもおかしくないような人なんです。ご承知のように皇族はみんな無試験で学習院に入るんですが、近衛さんは旧制一校、今の東大ですね、旧制一校から京都大学に行った人なんです。めずらしいんですよ、皇族系でそれだけの学歴がある人は。姿もいいし、国民に非常に人気があった。「近衛さんについていきたい」みたいな。だから良く似ているんです。小泉さんと出自は大分違いますが(笑い)。

 松岡さんが「昭和の宰相」の中でおっしゃっているのは、例え総理大臣でも天皇でも、個人の力というものは高が知れている。そんなものに頼っちゃいけない。憲法とか、制度、法律を決めて、それをチェックしながら進むと世の中は間違わない。ヒットラーみたいな例は歴史の中に沢山ありますが、この王様は、この人は、なんてやると必ず世の中は間違いますよ、ということでした。書かれたのは30年ぐらい前のことですが、そのときすでにそういうことを書いていらっしゃる。私は感心して読んでいたんですが、私たちが肝に銘ずることがここにあります。

 核兵器廃絶のことなんかもそうです。こういう集会も人数が多ければ多いほどいいんですが、ここに来ている人は確信犯の方ばかりですから問題ないんですが(笑い)、やはり広めることです。なぜ憲法があるのか、9条のことも含めてその意味を。世の中にとって法というものが一番大事だ、ということを自覚して進んでいるといいんじゃないかと思って今日は参りました。失礼しました。 (拍手)

会場からの質問(司会者代読)

質問(司会者) まず大沢監督に。戦後、日本の反戦平和運動の原点は木下恵介監督の名作『二十四の瞳』にあると言われていますが、戦場のない反戦映画をどのように思いますか。そして、これからそのような映画を製作するお気持はありますか。

大澤監督 『二十四の瞳』は名作ですが、私なんかはむしろ、あの時代に出来た映画では、これも戦場場面がなく、陸軍の内務班の話なんですが、山本薩夫監督の『真空地帯』に非常に驚きました。日本の軍隊の本質を描いているんですが、これでは日本は勝てないな、という感じがしました。もちろん木下監督の『二十四の瞳』も名作ですし、外国映画でも『禁じられた遊び』なんかは戦場場面がなくても反戦平和を訴える珠玉の映画でした。
 いろんな映画があっていいと思いますが、私の場合は残りの人生が沢山ありませんから、先ほど言ったように憲法を題材にした映画を作ろうと思っています。
 これはジャン・ユンカーマン監督の『映画日本国憲法』の中でも日高六郎さんがおっしゃっていますが、日本国憲法というのは押し付け憲法だと言われているけれども、確かに短い時間の中で成立させたとか、GHQ案を日本政府に示したとかで、押し付けがなかったということではないんですが、しかしそのGHQの草案たるものは、実は市井の一憲法学者である鈴木安蔵さんや、数人の人たちが作ったもので、それを基にしてGHQが草案を作って政府に提示したんです。これは調べて見ますと、事実そういうことなんです。アメリカの資料でもそうですし、立証できる資料は揃っているんです。
 それを出版社の若い派遣社員の記者と、法律を勉強している司法試験浪人の若者が掘り起こしていくという話でシナリオを組んでいます。これから数年にわたって激しい闘いになると思います。憲法改悪を阻止できるか、自民党の草案が通るか、一大決戦が控えていると思うんですが、そのためになにか力になるような、そういう映画にしたいなあと思っています。

質問(司会者) ありがとうございました。では神山監督に。中国の方と9条や平和についてお話しになりましたか。握手をしっ放しだったということですが、日本の中国侵略について反日感情はなかったんでしょうか、という質問が来ています。

 神山監督 第1回日中シナリオ・シンポジウムのときを含めて中国へは11回行っているんですが、2回ありましたね、反日感情が。日本人のことを“リーベン!”と言うんですが、突然、敦煌の市場で80歳ぐらいのおばあちゃんが来て、“日本人!”と言うわけです。その頃向こうはみんな人民服を着ていますから、日本人はすぐ分かるんです。多分、ご家族がひどい目に遭われたんだと思うんですが。それともう一回、若い人に“日本人!”と言われたことがありますが、それ以外はそういう経験はありません。
 戦争の話というのは、日中シナリオ・シンポジウムのときは作家同士の集まりで、特に第1回の集まりでしたから、会えたことが嬉しかったみたいなことが双方にありまして、厳しい話はしていません。
 先ほど時間を気にして肝心なことを言い忘れたのですが、『日中不再戦』の碑を揮毫した松尾吾策さんは、多分費用も自分持ちで建てたと思うのですが、素晴らしい碑で、大きな字で『日中不再戦』と書いてあるんですね。そのことは私ももちろん知らなかったし、日本人でそのことを知っている人は誰もいないんですよ。岐阜市の市長さんと一緒に行った人たち以外は。ところが、ここが大事なんですが、中国の人たちは全員知っているんです。国交を回復する前ですよ。1972年に国交を回復しますけれども、その遥か前に岐阜市の市長さんが中国に行って──多分戦争で中国戦線に行っておられたんでしょうが、国交が回復する前に中国に行って『日中不再戦』という碑を建てられたことは、中国では大々的に報道されて、知らない人はいないんです。日本人は誰も知らないんです。そこにも今、両国が抱えている問題があると思います。

司会者 はい、どうもありがとうございました。本当に時間が短くて残念です。もっと沢山お話をうかがいたいのですが、このあとも控えておりますので、どうもお二人、ありがとうございました。 (拍手)

第二部/アニメ作家、九条への想いを語る!

人形アニメ作家 川本喜八郎

 今晩は、川本です。今ご紹介にあずかりましたが、人形のアニメーションを作っております。ですが「三国志」とか「平家物語」とかはNHKの番組で、これはアニメーションではありません。人形の美術を担当しただけです。

 ちょうど終戦の年、僕は20歳で軍隊におりました。ですから多分今日ここで話をする方の中では、最年長であると思います。今年80歳になります(拍手)。80歳になっても現役で映画を作れるというのは、幸せなことだと思うのです。

 終戦の年に軍隊から解放されまして、その翌年の昭和21年に東宝の撮影所に入りました。撮影所の美術監督の助手をやっていたのですけれども、その頃来なかったのは軍艦だけと言われたストライキ(東宝争議)があった時代で、東宝に在籍していた4年間の半分はストライキに明け暮れていたように思います。そしてストライキが終わると、今度は大変な労働強化の中で映画を作りました。「戦争と平和」とか、「暁の脱走」「女優」というような名作のスタッフとして仕事が出来たことを非常に誇りに思っております。

 その後、ひょんなことから人形を作ることになりました。つまり撮影所を首なって仕事がなくなったので、人形を作るようになった訳ですけれど、その人形と映像が結びついて自然に人形のアニメーションを作ることになった訳です。

 ここに来て「憲法九条」のことをお話しなければならないのですけれども、いま出来上がったばかりの映画があります。それは折口信夫原作の「死者の書」を人形のアニメーションにしたもので、幸せなことに2006年の2月11日から岩波ホールで上映することになりました。

 自分としてはあまりメッセージ性のある映画をいままで作ったことがないのですが、これは「死者の魂を鎮める」というような映画になっております。ちょうど今、どこかの国の首相が靖国神社に参拝して、中国とか韓国などから大変な非難を浴びている訳ですけれども、日本で古代から言われている「魂鎮め」というのは、実は明治の時に出来た自分の国の兵隊だけを鎮めるというのではなくて、敵も味方もひっくるめて魂を鎮めるというのが、日本古来からの「魂鎮め」の形なのだそうです。

 それは元寇の役のときもそうだし、関ヶ原の戦いのときもそうだというのです。元寇の役のときなどは、「寄せ手塚」という塚を作って、蒙古の兵隊たちが攻めて来て亡くなった、その寄せ手のための魂を鎮めた、というのがありました。そういう古来からの伝統を踏まえて「魂鎮め」のような対応すれば、外国から非難を受けるようなことはなかったのではないか。ちょっと勉強が足りないのではないかと思います。

 そういうことを映画を作っている間に勉強しましたが、原作者の折口信夫博士は、去年(2004年)没後50年という節目の年を迎えました。その折口博士が終戦直後におっしゃったことを、最後の弟子と言われている岡野弘彦先生に伺ったのですが、「日本が戦争でアメリカに負けたのは、アメリカの十字軍のような宗教的情熱に日本は負けたのだ。それをただ単に物量で負けたと解釈している今の風潮を見ていると、これから50年後の日本は危ないよ」と言われたそうです。

 本当に50年後の日本、今はもう60年になりますけれど、その「危ない日本」に我々は身を置いている訳ですが、憲法9条に謳われている「戦争をする事を一切放棄する」、また武力によって他の国を屈服するというようなことはあってはならないという「憲法九条」の精神というものは、憲法が出来て4年か5年か後の朝鮮戦争の時には既に踏みにじられて、警察予備隊というのが出来て、それがいつの間にか軍隊になってイラクにまで行っているという現状は、50年後には、と折口博士が予見していたような「危ない日本」になっている気がするのです。

 この辺で一度立ち止まって「日本人とはいったい何なのか?」「これからどこへ行こうとしているのか」ということを考えるような映画を作ったと思っておりますので、もし皆さん興味がおありでしたら、映画の宣伝ではありませんが、是非ご覧になって頂きたいと思っております。

 今も新宿駅の東口に立って三越や伊勢丹の方を見ますと、あそこが全くの焼け野原で、廃墟のような三越と伊勢丹の残骸の風景が目に浮かんできます。その時僕が行っていた軍隊は、第十飛行師団の師団司令部なのですが、竹橋にあったのが焼け出されて、一橋の如水会館が焼けなかったので、そこに本部がありました。僕は東京の大空襲があった時には、京王線の仙川というところで三角兵舎を作っていたのですけれど、週に一回本部に来るときに、東京大空襲を仙川で見ていました。仙川はあまり空襲を受けなかったのです。行って見ますと、おかしなことに国電は走っていたのです。新宿から神田の駅に出て、神田の駅のプラットホームから一橋の方を見ると、全部焼け野原で、如水会館だけがぽつんと見えるという、そんな風景でした。今でも神田駅に立ちますと、その様子が目に浮かんできます。

 それから60年間、憲法9条のおかげで、日本はどこの国にも行かなかったし、戦争に巻き込まれることはなかったわけですが、これから先、あと60年位経って、60年前の日本は一番危ない決定をしたのだということになりはしないかというのが、僕の一番の心配です。 アニメーションの仲間の中にも、この憲法九条の会を広めていきたいと思っています。どうも有難うございました。 (拍手)

アニメーション監督 高畑勲

 実は今日、映画人九条の会が一周年を迎えて、どれだけ進んでいるかということを予想できなかったのですけれど、昨日NHKが放送していた世論調査によりますと、小泉首相の支持率が58%と聞いてびっくりしたのです。すごいですよね、58%という数字は。どうかしていると(笑い)、実際どうかしているのですが、例えば何年か前は、憲法9条の改正について改憲派が国民の半数以上を占めるということは絶対にあり得ない、と思っていました。

 憲法のことだけでなく、随分いろんなことが起ころうとしている。思ってもいなかったことが、本当に現実の問題になりつつあるのではないか、という危機感がすごくあるのです。

 私自身は、そうは見えないかもしれませんが大変享楽的で、だから作品も日常生活的なものばかり作っていて、日常が大事だと思っています。日常生活を壊す一番大きなものは、戦争です。そういうことで言えば、今の状況は大変な状態になっていて、川本先生もおっしゃっていましたけれど、アニメーション関係者にも訴えて頑張っていかなければいけないと思っております。

 しかし今日お話したいことは、先月(10月)の終わりから今月(12月)の初めにかけて、イタリアの小さいアニメーション映画祭に行ってきました。フランスとかイタリアとかは何回も呼んでくれるのです。それは我々が作っている日本のアニメを気に入っているということであるわけです。例えばフランスのかなり有力な大学で、日本語を勉強する動機になったのは漫画とかアニメだったというのが非常に多い。もちろんその後、その関係に進むとは限りませんが、これはある意味で世界に「日本化」が進んでいることではないか、という気がするんです。「日本化」とはどういうことかというと、現実が面白くないから映像の中に何かを求める。アニメやゲームなんかは特にそうですけれど、日本はそういうものが得意で、そういうものを売り出して、世界の若者をそういう中に取り込んできたということがあるわけです。

 イタリア人に聞いたのですが、イタリアもいま、大変若い失業者が多いそうです。そして失業をきっかけに人と付き合わなくなって、引きこもり的になってしまうような状況が生まれているというような話を聞きました。イタリア人というのは会話が大好きで、小さい時から人との付き合いを訓練していますから、そう簡単に引きこもったりはしないのですが、それでもある種の「日本化」が起きている。

 しかし日本でいちばん問題だと思ったのは「日本のアメリカ化」です。

 それをひどく感じるのは、イタリアやフランスなどは、町が町としてちゃんと機能している。小売り業があり店舗に人が寄っている。そこに生活があって、人と人が街で出会えるようになっている。それに対してアメリカに行ったらわかる事ですが、車がなくてはどうにもならない。車はそのものはヨーロッツパも多くて大変な問題ですが、しかし「アメリカ式生活」というのは、大型店舗に出掛けて行って、人っ子ひとりいない広い危険な場所で買い物をして、家と往復している。

 そういうことが現実の日本でも行われていることが一番の問題ではないかという気がするのです。それは、郊外の大型店舗の進出によってスーパーでさえ潰され、小売り業はその前に潰されていて、不便で不便で、ものすごく遠くて、車を持っていない人は買い物にも行けないというようなことが各地で起こっていて、NHKが「ご近所の底力」を取り上げるぐらいの大問題。

 そういう「アメリカ式生活」は、ヨーロッパにはない。風土の形、土地のあり方、人の住み方というのは、日本はヨーロッパに近いと思います。伝統的なものを受け継いできたところも。

 ところが、日本はどうしてこんなにアメリカ化してきたのか。それはアメリカから押し付けられて来たに違いないのです。「拒否できない日本(アメリカの日本改造が進んでいる)」(関岡英之著)まだ読んではいないのですけれども、「戦争を出来る国にしろ」というだけでなく、経済や生活面のあらゆる問題でも、「規制緩和」だ「民営化」だと、みんなアメリカの言いなりというか、アメリカに言われてやっているのではないか。

 その結果、この間の「姉歯」の強度偽装問題も、一種の民営化によるものですが、民営化が行われた時にどういうことが起こるのか、それについてどこも責任を持たない。公園や美術館のようなものまで指定管理者制度で民に委託することになって、そこからまた実際の運営は民間に下請けに出す形になる。そういうことをやっていったときに、一体どこが実際に責任を取るのか、という問題に必ずなる。今度の建築の問題と同じで、どこも責任を取ろうとしない。そういうことが起こってくる。これは政治的なところで一番感じるんです。ここで憲法9条の問題に繋がるのですが。

 ようするに日本が戦争に負けて──私自身は大澤監督と同じ年です。だから小学4年生で終戦を迎えました。日本はあの戦争の責任を日本人が取るなり、追及したことがないのです。これはすごいことです。極東裁判が云々と言うけれども、日本人自身が東條英樹をどうしようとか、戦争責任を追及しようということはまったくなかった訳です。天皇も含めて。

 それがあらゆることに際立っていて──。「押しつけ憲法」なんかについても、責任はアメリカにあるような顔をしている。実際には自分たちの国の憲法として発布し、施行したにもかかわらず。そして私たちは自分たちの憲法として喜んで受け入れたにもかかわらず。そういう責任を取ろうとしないことで何が起こってくるかというと、戦争中もそうだったのですが──大本営の連中が全然責任を取らなかったし、作戦面で失敗した将軍の責任も取らせなかった。そしてズルズル、ズルズル行ってしまう。そして日本中が焼け野原となり原爆が落とされてどうにもならなくなってやっと終わらせた。

 自衛隊派兵を決めたのもアメリカにただ追従しただけですが、今度、小泉が自衛隊派兵を一年延長するというときも、オランダやカナダなどの撤退の様子を見ている。要するにあなた任せ。みずから責任を取ろうとはしない。そうした体質は、憲法9条をなくした時にどうなるかということを非常によく現していると思います。

 二項を変えても大したことはないのではないか、と考える人たちが58%も小泉を支持して、小泉が何かを変えてくれるのではないかと期待しているのかも知れませんが、そんなことを思っている人に身に降り掛かってくるに違いない、為政者の無責任体質、ズルズル行くに決まってるんだよ、という話をどうやってしていくかということが一番大きな問題なんじゃないかと今は思っています。

 そろそろ時間のようなので、これでやめておきます。 (拍手)

会場からの質問(司会者代読)

質問(司会者) 時間がありませんので全部はとても紹介できませんが、会場からの質問を要約してお伝えしたいと思います。では高畑さんに。高畑監督の考えていらっしゃる優れた反戦映画とはどういう作品でしょうか。また反戦映画を今後創るご予定はありますか。『泣ける映画が危ない』とおっしゃっていますが、それがどのように戦争につながって行くとお考えでしょうか。

高畑 どのようなものが反戦映画なのかよく分からないのですが、ただ自分の『火垂るの墓』が反戦映画だと言われる時に、違和感があるのは事実です。なぜなら、戦争の悲惨さというものを描いて反戦になったためしがないと思います。それは別のメカニズムなんです、戦争が起こるのは。戦争が起きる時に、どこまで悲惨な状態になるのか、本当は予測がつくのだと思うのですが、普通は予測がつかない。ですから戦争は始まり易いと思うんです。そうすると、戦争はどうして起きるのか、起きる時にどういうことがあったから起きたのかということを明らかにするような映画を作れれば良いですけれど、なかなか難しいだろうという気がします。現象だけを見れば、悲惨な状態を描くことが一番映画に描き得ることには違いありません。これ以上言うと時間が長くなってしまいますので。
 次の問題も難しいのですが、“泣ける映画”というのは、最近若い人たちが泣けたというのは、同情のあまり泣いてしまったということを意味しているのでないということが基本にあって、泣ける映画は問題だ、と言っているのです。感動する映画があります。感動はもちろん悪いことではありません。しかし感動するために、わざわざ今、そんな気分でもないのに映画館に行ったら、ひょっとしたら旨く泣けて、感動できて癒される。それを求めていくのであれば、映画にはそういう作り方というのはあります。そういうふうに作っている方も結構いると思うのです。
 そういう動きというのは、その心情を考えるとわざわざ映画に限らなくてもいい。戦争中だってみんな泣いたのですよ。感涙にむせんだのでないでしょうか。そうやって心一つにして、実に感動しやすいことです。スポーツでも同じです。そのことを全部否定するつもりはないけれど、そういう心情、そういうことばかりを求めている、あるいはそれが受けているという状態になった場合には、自分の身を委ねたり、預けてしまいたくなってしまう。映画に身を委ね、預けて感動する訳ですが、そういう状態が政治的に起こっているとしたら、こんな怖いことはない。それを準備している危険性はないだろうか、と言っているわけです。“泣ける”“泣きたい”ということについては以上です。

司会 川本さん、関連してひと言お願いします。

川本 関連しているかどうか分からないのですが、いまアメリカが一国で世界を支配している。『パックス・アメリカーナ』と言われている時代で、そういう一国が支配している時代は、過去にも何回かあったのですね。『パックス・ロマーナ』──ローマが世界を支配していた時代、『パックス・タタリカ』──チンギスハンの蒙古が世界を支配していた時代、『パックス・ブリタニカ』──イギリスが世界を支配していた時代。そして『パックス・アメリカーナ』というのは、一国で世界を支配している。それがどうして面白いのか僕には解りませんが、どうしても支配欲というのはついて回るらしくて。で、そういう時には戦争は出来ないんですよね。そうするとテロが起こる。戦争できないからテロが起こるんで、一番の原因は一国でもって世界を支配しようとしているところに問題があります。
 パックス・タタリカの時、マルコポーロがベネチアから元の都まで旅をしている途中で、今のイランの北の方で『山の老人』という暗殺者集団、テロ集団の有様を描いているのですが、蒙古が世界を一国支配していた時には、戦争が出来ないから暗殺者を送り込んで人を殺してもしようがない、という時代だった。
 今そういう時代になって、非常に危険な状態です。テロリストは悪、という烙印を捺してしまいますけど、でも日本人ほどテロリストが好きな国民はいないと思います。東洋ではテロリストは一種の美学だと、僕は思っているのです。司馬遷は『史記』中で、『刺客列伝』という項を特に改めて、秦の始皇帝を殺しに行く荊軻(けいか)という一人の刺客のことを書いています。日本で一番有名な芝居は、47人のテロリストと言われる『忠臣蔵』でしょう。そういうことをむしろアメリカに教えた方が良いのではないかと僕は思います。
 今の話とは関係ありませんが、日本の文化をアメリカに教えるというぐらいの気概がなくて、いつまでもアメリカの属国というよりも植民地のような、自ら進んで植民地になるような態度は、国にとして国民の尊厳を傷つけるものです。憲法の中にもそういうことは書いてない。もっと毅然とした態度で、アメリカだけでなく世界の国と交際できるような国になってほしい。今の状態は暗澹たるものです。 (拍手)

司会 最後に高畑さん、先程どうしても言いたくて言わなかったことがあるのではないかと、皆さんが思っているようなので、どうぞお話ください。

高畑 二つぐらい頭に浮かんで来たのですけれど、一つは川本さんがおっしゃった『魂鎮め』の問題です。『火垂るの墓』に子供たちの亡霊みたいなのを出したのは──結局日本の祖先崇拝というのは、死んだ人は天国へ行ったのでもなければ、天国という概念を生み出したユダヤ教とかキリスト教とかイスラム教みたいに、死んで無になって、そして突然「最後の審判」で起き上がって、そのあと割り振られて永遠の生命を得るらしいのですが、ということは今はいないんですよね、いま死んでいる人は。最後の審判が来ていないので、無と同じ状態なんです。そうではなくて祖先崇拝が、日本だけじゃありませんが色濃くあって、日本は仏教だとかなんだとか言っても、結局祖先崇拝が一番大きいんじゃないか。そうすると、(祖先の霊は)ここら辺にいるんです、草葉の陰だとか。そして生きている我々をいつも見ている。そしてお盆に帰ってくるとか。
 そういうことから言うと、一番印象的なのが広島の“安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませぬから”という原爆慰霊碑です。繰返しませぬから、とは誰が言っているのか。言っている相手は、安らかに眠ってほしい人ですね。それはおそらく死んで行った人たちです。何も主語がないとか、限定されていないところにすごく大きな意義があると思うし、日本人的な心情をよく現していると思うんですね。戦争があったために死んでしまって、そんなに安らかに眠っていないだろうということです。靖国神社に眠っちゃいないだろうということですね、大抵の人は。そういうことを思い出さなければいけない。眠っているのではなく、我々のことをきっと見ているのですね。そういう意識はずうっと有り続けなくてはいけないのではないか。それこそが日本の宗教的心情──宗教かどうか分かりませんが──ではないかと思います。 (拍手)

司会 はい、有難うございました。非常に深いところで私たちは共感させていただいたと思います。お二人、有難うございました。 (拍手)

第三部/国際的な視点で、九条への想いを語る!

作家・字幕翻訳家 池田香代子

 なぜ私が「映画人九条の会」に入れていただけたかと言いますと、映画の字幕の翻訳をしていました。例えば「ベルリン・天使の詩」とか、そういう映画の字幕翻訳をしていました。

 今のご紹介にもあったように、「世界がもし100人の村だったら」という本を、2001年の9・11事件やその後のアフガン報復攻撃に刺激を受けて出しました。いろんな反響がありました。「世界がもし100人の村だったら」を音楽で現したい、表現したいという方がお見えになって、こんなCDが出ています。世界のいろんな歌で、「100人の村」を表現している。一曲目がジョン・レノンの「イマジン」です。「イマジン」こそは「100人の村」のイメージに相応しい、とプロデューサーが考えた訳です。

 CDを持ってきたので聴いていただきます。歌っているのはジョーン・バエズです。若い方のために申し上げますと。ジョーン・バエズというのは、30年ほど前に終わったベトナム戦争の頃の象徴的なフォークシンガーです。この間ニュースにチラッと映ったのでびっくりしました。今、アメリカではシーハンさんというお母さんが、「どうしてうちの子はイラクで死ななければならなかったのでしょうか? 教えてください大統領」と、ブッシュさんの別荘の前でキャンプをなさって、いろんな人が応援に来ています。私が見たニュースでは、ジョーン・バエズさんが、弾き語りで「アメージング・グレイス」を歌っていました。では、CDをお願いいたします。

 ──「imagine」が会場に流れる。

 どうもありがとうございました。こういうCDには対訳の歌詞カードが入っています。それを訳させていただきました。そしたら、それを読んだ若い方が、「なんだ『イマジン』って、日本国憲法じゃん。どうせならこのノリで日本国憲法を読みたい」っておっしゃったんです。ちょっとそこに思い当たるところを読んでみます。

さあ、想像して 国家はないと
むつかしくはないはず
殺しあう理由がなく
宗教もないということなのだから
さあ、想像して
すべての人が 平和のうちに生きてあるさまを

ジョン・レノン 『イマジン』より引用

 若者は「イマジン」の中に憲法の平和主義を読み取ったのです。

 私は本の後ろに自分のメールアドレスを書いているので、沢山のメールをいただきます。その中に80代の男性の、こんなメールがありました。「うちでは100人村の本を憲法の隣においている」と。憲法が生まれた時に立ち会った方と、その憲法の下で生まれ育った方が、同じように言わば「100人の村」から、憲法を連想した。これはただ事ではないということで、憲法の絵本を出しました。

 英文憲法というのも、正式な憲法だそうです。何も知らない池田が英語から読んだらどうなるだろうということで、専門家に教えていただきながら訳しました。ユンカーマンさんの映画にも出ているラミスさんにも教えていただきました。

 いろんな発見がありました。私たちの知っている憲法前文は、「日本国民は」って始まりますよね。英文憲法は違うんです。「We」で始まるんです。「We , the Japanese people」=「わたしたち日本の人びとは」で始まります。恥ずかしながら、「あ、そうだったんだ」とびっくりしました。日本国憲法前文にも「我ら」という、とても印象的な言葉が何度か出てきます。だったら最初のところも「我ら日本国民は」ってやってほしかった。そうすれば、憲法というものが最初から最後まで私たちのセリフなんだ、ということがはっきりするからです。

 どうも「憲法」という言葉はよくなくて、聖徳太子の十七ヶ条かなんかを思い浮かべます。今年1400年目ですか。「和をもって尊しとなせ」とか、憲法とは偉い人が上からいいことを言ってくれるもの、なんかそんなイメージがないでしょうか。私はちょっとごっちゃにしていましたが、そうではなくて、憲法は最初から最後まで私たちのセリフなんですね。

 憲法をひとまとまりの読み物として読んだ時、私は9条は決して真ん中にあるとは思いませんでした。13条が真ん中にあると思いました。13条の最初はこうなっています。「すべての人びとは、個人として尊重されます」。つまり、一人一人を大切にするって書いてあります。憲法は「私たち」が主語ですから、私たちは一人ひとりを大切にする社会を作る、と宣言しているんです。

 こういうことは、世界中のだいたいの憲法に書いてあるそうです。でも、日本の憲法が変わっているのはここからです。じゃあ、一人ひとりが大切にされない社会ってどういう社会だろうと、この13条自体が考え始めるんですね。「テクストの内在理論」って言いますけれども。

 その答は、憲法ができた当時の人びとにとっては、国籍を問わずはっきりしていました。それは、政府が戦争を始めてしまった社会です。だから、本気で一人ひとりを大切にするのなら、政府に戦争をさせちゃいけないんだということで、私は、13条を裏打ちするために9条があるというふうに位置付けられると思いました。

 大発見だと思って喜んで、本を訳してからもいろいろ憲法の本を読んでいったら、大体そういうふうに書いてあって、嬉しいような、がっかりするようなでした(笑い)。

 私、お話できる時間を倍に誤解していました。早く終わんなきゃいけないので、どんどこ飛ばしていきます。

 この間テレビを見ていたら、普通の市民の方が9条を「変える」と「変えない」とに分かれて色々議論していました。「変える」と言う人が、「じゃあ、あなたは目の前で家族が殺されても、あるいは殺されそうになっても、何もしないんですか?」って言ったんです。

 そしたら9条を「変えない」って言う方の人が、「私は人殺しをするのが嫌だから、殺されて9条に殉じる」って言ったんです。私はのけぞってしまいました。そんなこと、9条に書いてない。もしもそんなとんでもない状況に立たされた時に、私たちが武器を持って抵抗しようが、あるいは、すごく難しいけれども武器を持たず、ガンジーのように非暴力主義で抵抗しようが、あるいはそれとも自分や自分の家族が生き長らえるために、その時は抵抗しないでおくことにするか、それを決めるのは、私たちの自由なんです。私たちが決めなきゃいけないんです。そんなこと全然9条に書いてないんです。

 だから、殺すのは嫌だから殺されるのは、その方の信条としていいと思います。だけどそれで9条に殉じたことにはなりません。そんなふうに、9条をとても大切にしている人たちも、9条のことを誤解していると思います。

 よく憲法について、9条について、いろんなところで議論をしていると、賛成派も、反対派も、「そう言えば、9条だけしか読んだことがない」とかおっしゃるんです。どうかこの際、憲法を読んで大いに議論していただきたいと思います。

 私は憲法を変えることには、原則的に反対ではありません。例えば、政府は条約をはじめとする国際法を守りなさい、ということを入れたいと思います。あるいは、外国籍の人の人権を守りなさい、ということを入れたいと思います。そういうことは入れても入れなくても当然なんだけれども、当然のことをする政府をどうも私たちは、いつも持てるとは限らないようだということを、この60年間の経験で知っているから、そういうことは入れたいと思います。

 でも、今の改憲議論には私はどうしても乗ることができません。憲法というのは私たちのセリフであって、私たちが政府に命令しているものであるという立憲主義を解ってらっしゃらない方がいじろうとしているからです。

 でもそういう声も、さすが自民党、封じましたね。今回の自民党の新憲法草案、巧いなと思いました。少しだけ変える。変えても変えなくてもいいところも含めて、ちょっとだけ変える。一番重要なところは9条の2項と改憲条項ですね。一旦変えてしまえばもうこっちのものだ、あとはどんどん変えてしまおう、というわけです。

 この間の選挙もたった一つ、郵政民営化賛成反対ということで、「これは国民投票なんだ」と、国民投票じゃ全然ないのにそう言って、有権者の意識を慣らした。これで、本当の国民投票に、なにか筋道がついたように思います。

 でも、全然悲観することはないと思います。皆さん多分ご存じない方が多いと思いますけれども、最近SMAPがテレビに出てくるたびに歌っている「トライアングル」という歌があります。こんな歌を若者が歌い、そしてこれはオリコンチャート第一位になりました。多くの若者が支持しているのです。あきらめることは全然ありません。そのことを伝えたくて、SMAPが歌っている「トライアングル」から一節をお読みして、私の話を終わります。

すべてに満ち足りた 明日の日を
求め彷徨う 亡者の影
破壊でしか見出せない 未来を愛せないよ

無口な祖父の想いが父へと 時代(とき)を跨ぎ
一途に登りつづけた ひどく過酷な道
わずかな苦しみも 知らぬまま
後に生まれ 生きる僕ら
受け継ごう その想い 声の限りに 伝えるんだ

SMAP 『トライアングル』より引用

 きっと紅白歌合戦でも歌うと思います。応援してください。どうもありがとうございました。 (拍手)

記録映画作家 ジャン・ユンカーマン

 今晩は。僕が「映画日本国憲法」を作った時は、最初はとても地味な企画で入りましたので、ほとんど教育用の映画を作ろうかなと思っていたんですけれども、編集している最中に、いろんな素材を見て、これはそういうような扱いではもったいないな、ということを決めたんです。

 その一つは、この憲法の話自体、この歴史の話自体が、ものすごく劇的なんだということ。もう一つは、この憲法の持つ意義というものもやっぱり劇的で、本当に強いメッセージ、強い内容を持っている話なんで、それで劇場用の映画として仕上げて、公開しました。

 今年(2005年)の4月に完成したので、8ヶ月ぐらい経ったところなんですが、全国100か所以上のところで自主上映をしていて、すごく拡がったんですけど、まあドキュメンタリー映画なので、延べで3万人ぐらいしか観ていません。

 それにしてもやっぱり、こういうようなホールに人が集まって、憲法の話、民主主義の話、戦争と平和の話をするということが、たぶん日本の中でも、僕の経験の中でも、アメリカの中でも、やっぱり何十年ぶりなんだということだと思うんです。この何十年の間には、こういう話をするきっかけというものがあまりなかった、ということなんだと思うんです。

 だからこそ、戦争のことがぼやけてきているということもあるし、もちろん憲法とはどういうものであるのか、さっきの池田さんのお話の中でも、どういうものなのか、どういう役割を果たしているのか、誰のものなのか、そういうこともぼやけてきたということなので、今こういう九条の会が全国にできて、全国的にこういう集まりで勉強をしたり、話し合いをやっている中で、それを再認識するということが拡がってきているのは、それはすごく希望を持つことだと僕は感じているんです。

 この映画の英語版を作って、いまアメリカの中でも少しは出回っているんですけれど、この間ハーバート・ビックスさんという、ヒロヒトの伝記を書いてピューリツァー賞をもらった人からメールが入ったんです。つい昨日だったんですけれど。この映画をわりと評価してくれたんです、「正直な映画だ」と。だけど、「悲しみに満ちている」とも言われました。僕は意外だな、と思ったんですけどね。いままでそう言われたこともないし、僕もそういう悲しい映画を作るつもりは全然なかったんです。逆に希望を与えることと、力づけるように、というふうに作ったんですけれど、彼から見れば悲しい映画だった。

 いろいろ考えてきたんです。アメリカから、遠くから見て、それが悲しく見られるのはどうしてなんだろうかと。一つは、戦後の日本の中だけではなくて、世界中の希望を考えていたいろんな良心的な人々が、こういう9条のある理想的な憲法が変えられるかも知れないという悲しみ、かも知れない。そういう話をしているだけで、政府が憲法を粗末に扱っているということは悲しい、ということかも知れない。

 もう一つは、9条、平和憲法というものは素晴らしいものなんですけれど、実際には実現されていないんですね。本当の意味の9条の精神が、今の世の中にはもうすでにない、と言ってもいいぐらいなんだということ。そういう悲しみもあるかも知れない。

 この映画は、世界から見た日本国憲法という切り口で撮ったので、あちこち海外で取材しました。一般の人は、そんなに憲法9条のことは詳しく分からないかも知れないんですが、でも日本は戦争をしない国だということ、そういうイメージが強いんです。意外だったのはシリアのダマスカスに行って、街頭のインタビューをしたときに、一般の人たちでも日本は戦争をしない国だ、というイメージを持っているんですね。

 考えてみれば戦争中、あんなに侵略していた国が、今度生まれ変わって、戦争しない国というイメージが世界中に拡がったということは、見事なものだということなんですね。それは本当に、世界から見て、憧れたり、尊敬されたりする、すごいものなんです。日本のすごい財産なんです。それを捨てていこうとしている今の政府の、今の改憲案、改正案を見ると、悲しい話ですね。

 僕は日本の選択というのは、はっきりしていると思うんです。それは一つは、アメリカ人としては恥ずかしくて悲しく思うのは、やっぱりアメリカと一緒になっていくという選択です。アメリカは戦力で問題を解決しようとしているんだけれども、それが目の前に見えている結果としては、イラクの戦争が失敗に終わっている。アメリカがはっきり言って負けているんです。いろんな悲劇をばら撒きながら、負けているということなんです。それが一つの選択。

 もう一つの選択は、平和的な、アジアの中の、アジアの隣の国々と平和的な関係を作っていくということだと思うんです。平和的な関係を作って、場合によっては不戦条約を結んでやっていけば、軍隊なんて、自衛軍なんて、今あるアメリカの基地なんて、いらなくなっていくんだと思うんです。でもそれをするためには、9条を守るということだけじゃなくて、積極的に9条の精神を広げていかなければだめなんだと思うんです。その二つの、ものすごくはっきりしている選択があるんだと思います。

 これから改憲の過程が進んでいくかも知れませんが、その中で日本の、普通の人たちが、こういうような話の中で、そういうことを考えてみれば、正しい選択するのだと僕は思います。どうもありがとうございました。 (拍手)

会場からの質問(司会者代読)

質問(司会者) まずジャン・ユンカーマンさんに。9条と前文は世界に向けた反戦の宣言だと思いますが、それを捨てようとする政府に反対する声はどうしても弱いと感じています。最近はデモに参加する若者も減ってきている。世界でも稀な、抗議の声をあげない国民に見える。どうやって切り開いたらよいと思われますか。

ユンカーマン やっぱり難しいですね。上映会のたびにあちこちのこういう集まりに行きますので、よくそういう話を聞きます。僕は一つは、風の向きが変わってきていると思うことがあるんです。それはやっぱり、こういう九条の会のおかげだと思うんです。全国的にあるし、いろんな形、九条の会以外の形でも憲法を考える会など、そういうものもあるので、憲法の話をするということがやり易くなってきていると思うんですね。そういうことで、どんどん変わっていくんじゃないだろうかと思います。
 先程SMAPの話もありましたが、この間、爆笑問題が、憲法9条をユネスコの世界遺産にしたほうがいい、というような発言をしていたんですが、そういうような人たちの発言が出てくると、ぜんぜん一般的な人たちの意識が変わってくるんじゃないかなという気がしますね。
 これは文化的な社会的な意識の問題だから、それをどうやって読むかということはとても難しいことだと思うんですけれども、それが急に変わっていくというか、流れが変わるという可能性もいくらでもあると思います。

池田 今の話に関連してですが、ユンカーマンさんの「日本国憲法」の映画のジャケットや本の表紙に、奈良美智さんのイラストが使われています。ある年齢から上の方は、『えーこんなの?』って思われるかも知れませんけれども、奈良美智さんって、若い人からもう絶対的な人気があるんですね。『えーっ、奈良さんもこっちなんだって!』いうことで、若い人たちにこういう形で伝わるということはすごく大きいことなんです。私はだから全然あきらめる材料はないと思っています。
 私はよく自民党に呼ばれます。それからよく地方自治体に呼ばれます。あの、外務省も来いとか言います。そういうところに行くのが私の役目だと思っていますから、今日みたいなところに来ると、そういうところから声が掛からなくなるので、あんまりこういうところには来ないことにしているんですけれど(笑い)。ここにいらっしゃる方々は、私がお話する必要もない方ですしね。
 それでお話をしていると、自民党支持者の人たちだって9条の2項を変えることには非常に恐れを持っている人たちが多いんです。
 だから私、皆さんにお願いしたいことは、こういうことを話したことのない方と、お話をして下さい。一人五人、今日これだけの人がいらっしゃいますから、それだけでももう大変な数になります。
 『こんなこと言うと浮いちゃうかも』って思われるかも知れませんが、私にとってもそれは大変なことなんです。朝ゴミ出しをしながら『憲法がさあ』とか言っても。でも勇気を出して言うと、『なんか最近変だな、やだなって、思っているんだけど、そんなの私だけかと思ってた』って言葉が返ってきたりする。勝手に思い込んでいる人がすごく多いんです。ここにも勝手に思い込んでいる方がいらっしゃるじゃないですか。そういう方すごく多いんです。で、『そんなことない』っていうことを伝えるんです。
 それで、意見が違ったからと言って、『そんなこと言ってもあなた、それはこうでこうで』と説き伏せようとしないで下さいね。皆さん情報豊富でいらっしゃいますから、そうしたくなっちゃうかも知れませんがが、そうじゃなくて、気持を聞いてもらうということは、相手の気持にも耳を傾けるということです。それで、『またこの話しようよ』っていうところで止めておくのがコツですね。それでお互い、どうしてあの人はそういうふうに考えるのかな、って考え合うことができたら、もうオンの字だと思うんです。
 考えは違っても、立場は違っても、話していけば信頼関係が生まれます。全く同じ考えになることよりも、信頼関係が育まれるほうが、いざという時、私たちの力になると思うんです。だからどうか皆さん、そういうことを話したことのない人に、五人に話しましょう。それが私の希望のもとです。よろしくお願いします。 (拍手)

司会者 もう一言、特に若者についてお話いただけると嬉しいのですが。

ユンカーマン 僕の映画をこの間上映したときに、若い人がすごく正直にコメントしたんです。『映画を観ていて、正直言って混乱している』と言ったんです。混乱しているというより、『今までいろんな憲法の話を聞かされたけど、それとこの映画の内容は全く違うじゃないか』と。『どっちが正しいかよく解らない』と言っていたんです。
 だからそういう意味では、僕は憲法を改正しようと思っている人というのは、一般的にはあまりいないと思う。混乱している人が多いと思います。なぜ変える必要があるのか。いま自衛隊があるけれどもそれも憲法入れてもいいんじゃないか、とかいろいろ考えたりしている人はいるけれども、実際に自分から積極的にこの憲法を変えようと思っている日本人は、ほんのわずかだと思う。一般的な人は、変えなくてもいいんだと思っていると思うんです。
 だから逆に、変えなくてもいいと思っている中では、そんなに話す必要もないんじゃないか、と考える人もいるかも知れない。でも逆に、これからは実際の改憲案が出てくるし、国民投票に繋がるようないろんな過程があるのだから、その中では、やはり一人ひとりが自分で考えて、自分で判断する必要が出てきて、それと直面して考えることになるのではないかという気がします。

司会者 憲法のことをみんなが考えるチャンスになるということ、それをプラスにして行ったら良い、というお話だと思います。一つだけ質問が飛び込んできました。『他の国の人々は自分の国の憲法をよく知っているんでしょうか』という質問ですが。

ユンカーマン 他の国の人々がその国の憲法をどれくらい知っているか、ということはよく分からないけれど、でも、アメリカ人は憲法を強く意識しているんですね。いろんな自由が憲法に与えられているので、それを活かそうと思って、裁判を起すとか、そういうような話に繋がることが多いんです。
 逆にアメリカの裁判所が憲法を利用して、いろんな法律をバツにすることが多いんです。日本ではそういうことはあまり見かけないですね。日本の裁判所はそういうこと、積極的な大胆なことはあまりしない。だからこそあまり憲法というものが浮かんでこない、ということがあるんじゃないかという気がします。
 もう一つは、日本の政府や、政府を担っていた自民党あたりの人たちは、ずうっとこの憲法を嫌っていた。だからその憲法を人々に愛してもらおうとか、利用してもらおうとか、理解してもらおうとかいう努力は一切していないんですね。それも大きな原因の一つではないかなという気がします。

池田 2003年イラク戦争が始まる直前に、アメリカからスコット・リッターさんという元国連イラク大量破壊兵器査察官の方をお呼びしました。リッターさんは『イラクには大量破壊兵器はない』という本をお書きになって、それを日本で売っていただこうと。その時にリッターさんが何度もおっしゃるのは、『私は合衆国憲法に誓った人間だ』ということです。そういうのを、『憲法愛国主義』というのだと後から知りました。
 リッターさんはすぐ、『私は今でも愛国者で、いざとなれば武器を取る』とかおっしゃるんですね。私たちは『ちょっと私たちの考え方は違う』という話をしましたら、リッターさんはこういうふうに言ったんです。『僕がすぐに武器を取るというのは、僕の方が君たちよりも臆病だからだね。憲法9条のある日本に来れてすごく嬉しい』と。私はとても感動しました。そんなふうに憲法のことをすごく意識して、『私は愛国者だ』っておっしゃる方がいらっしゃるということを知ったことにも感動しました。
 私はさっき楽観的なことも言いましたが、怖いこともあります。今のご質問よりユンカーマンさんのお話に関連するんですけれども、憲法を変えようと積極的に思っている人たちはひとつまみなのに、そういう話が出てくる。これ、この間の郵政民営化と同じじゃないでしょうか。
 アンケートなどで関心度を調べたらすごく下の方なんでね。年金とか、そういうことの方が関心があった。なのにそれをずうっと言われ続けて、そして関心がないから私たち郵政のことあんまりよく知らない。知らないままにそこのとばかり一つ覚えのように言われている間に、それがたった一つの争点のようになってしまい、こちらは判らないから反論も出来ず、『これを改革せずして、なにが改革か』とか言われると、有効な反論も出来ずにああいう選挙の結果になってしまった。
 この結果から私たちは学ぶ必要があると思うんです。『だって憲法を変える必要はないんでしょ』って黙っていると、どんどん『憲法を変えろ、変えろ、変えろ』という声で、郵政の二の舞になるということはあると思います。それを繰り返さないためには、とにかく私たちが憲法を読む、知る、そして話し合うということだと思うんです。

司会 どうもありがとうございました。お二人にもう一度大きな拍手をお願いします。 (拍手)


このサイトに関するお問い合わせは webmaster@kenpo-9.net へどうぞ。

Copyright © 2006 映画人九条の会 All Rights Reserved.